放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

人間の記憶とはなんていい加減なのだろう。

昨日、四年前の学習記録を読んだ。

 

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私はたしか、このように話して、子どもたちの間にこんなことが起こって、それでこうなったんだよな…

 

と思っていたことが、

 

全然違った。

 

紙で残されているので、自分に反論できない。

 

私、こんなことしてたのね、と記録を見て知る。

その記憶と記録の齟齬は、

私が子どもたちと話し合いながら授業決定をした証となる部分でもあり、

一方で自分が譲れずにこだわった部分でもあった。

 

いろんな記憶が錯綜している。

学習記録には個人差ももちろんある。

やはり私が思った通りだった、という記録もあれば、

そうではない逸脱した行動が見られる記録もある。

なぜこうなったんだろう、そう疑問に思い始めると、

思わぬ発見に出会う。

逸脱してくれた記録の作者に感謝したい。

 

研究のための作業をしてみると、

一見良さそうなことも、課題となって見えてくるから、

これは次にこうしてみようと考えて、

またさらに記録が増えていく。

 

 

書き続けると自分の熱量の変化がわかる。

自分で書いたものを読み返してみて

おもしろいなと思うのは熱量の変化です。

熱量の変化は、切実さの変化と言ってもいいかもしれません。

 

切実さが薄まっている時の原因は、

何かに迷っていたり、

体力的に低下傾向にあったり、

暑かったり、暑かったり……(笑)

 

大体、4月は勢いのあることが言えたり(書けたり)するもので、

その時のエンジンのかけ方と同じようにいかない状況が起こってくると

表現が変わってくるのだなぁと思います。

そして、そういう状況を知って、自分で「停滞期だなぁ」って思います。

 

とか言いつつ、正直自分でもよくわからずに生活している感じです(6月現在)。

それでも、花を楽しむ心があるのはふしぎ。

 

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道徳の授業を考えると社会的背景に目を向けることになる。

第20回日本教育方法学会の研究集会は「道徳」がテーマであった。

武庫川女子大の松下良平先生の理論的枠組みの説明と、

浦安の小学校で勤務されている塩崎義明先生の実践紹介だった。

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原理については、社会的背景の諸問題を丁寧に読み解いていく必要があると思った。

ただし、一つ一つを考えていくほど教師の力量は高くないので、

さまざまな人がさまざまに授業実践を積み重ねていくことに価値があるのかな、とも思う。

また、一方でより包括的に社会を捉える授業のあり方が必要とされている、とも考えた。

一つの授業でさまざまな角度から「考え、議論できる」テーマ設定があると、

格差、貧困、グローバル化、他国との関係、政治への無関心、電力の問題、LGBT等々…

日常では考えることもないような現実の問題に

子どもたちの目を向ける道徳授業になるのかも、と思う。

 

実践紹介は、日常生活のアンテナの高さを感じるものだった。

教師の「あれ?そうだっけ?」から始まる授業は、

子どもたちにも本気の疑問を投げかけることができる。

 

どうしたら、そのような疑問を持てるのだろうか。

やはり、その教師の既知の事柄からなのだろうか。

同じ疑問を同じように感じる教師はいない、ということか。

 

具体はそう簡単に結びついてはこないけれど、

できない理由ばかりを探してもしかたないので、

「この機会だから新たにできることはないのか模索しよう」

そんな会だったと自分では思う。

 

そういう意味で、道徳の授業を考えていくときに

複数の人が関わって授業実践を提案し合う研究会が生まれやすいのは

よくわかる気がした。

 

町田くんの世界

アナログ人間で、
容量もよくないのに、
人のことはよくみていて、

「人が好きだ」

とストレートな言葉をサラッと言う。
私たちは、学校文化の内外で発揮される

町田くんの世界
ただただ温かい目で見るしかないのだ。

 

 

 

【今週の学習メモ】いまの時代

1  「ワーク・ライフ・バランス」から「ワーク・ライフ・ソサエティバランス」へ

 

誰かの善意によっての活動だけでは持続していかない。切実さを持って、楽しく活動しようとすることが大切なのだけれど。

 

2  愛情曲線

 

今週1番の衝撃データ。多くの人の実感が可視化された?

 

図 女性の愛情曲線

 

3  「文学はアーカイブだ」

 

メタファーを尽くして書き記されたものから、わたしたちはどれだけその時代を読み解くことができるだろうか。

 

4  過去に戻るだけが選択肢ではない。

 

ことば、そのまま。

【読書メモ】今週読んだ本

今週は授業で出される課題に追われるような1週間だった。

今日で一息ついた感じだ。

 

でも、課題はあくまでもはじまりにすぎず、

絶えず課題が課題を産む状況になっている。

そうでなければ学びとは言えないのだろう。

 

今週は中体連や体育祭の週である。

週末の天候が良いことを祈ろう。

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

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教科の本質から迫るコンピテンシー・ベイスの授業づくり

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ドイツ教授学へのメタ分析研究の受容 - ジョンハッティ「可視化された学習」のインパクト (MyISBN - デザインエッグ社)

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教えることの復権 (ちくま新書)

教えることの復権 (ちくま新書)

 

 

フクロウが来た: ぽーのいる暮らし (単行本)

フクロウが来た: ぽーのいる暮らし (単行本)

 

 

 

 

自分の、自分による、自分ための評価

今日は気持ちのよい青空だった。

 

昨日の研究会で有難いことに一冊の本をいただいた。しかも筆者から直々に。

「これで荷物が軽くなったわ」なんて、いつか言ってみたいことばだ。

図書館のスタバでその本を読み、ほっこりした気持ちになった。

文章に触り心地があるとしたら、こんな文章が気持ちのいい触り心地だろうな、と思う作品だ。

 

その後、北海道でご縁があって活動を共にした方と再会する。

自己評価について情報を共有した。

昨日も「自分の自分による自分のための評価」について話をする機会があったが、

今日もまたトンネルがつながるような話ができた。

結局、誰かに強制されてする振り返りは意味がない。

未来の自分の宝になるから、記録と振り返りが必要なのだ。

その価値がわからないうちは、どんなに書いても実にならない。

 

そして、集団の中での自己評価も重要だ。

他者との違いから自分を見つめられることに集団で学ぶ意義がある。

今は集団でメタ認知したものをさらにメタ認知するしくみを学んでいる。

 

 

どうやら、私は人と話をしながら学びを関連づけていくようだ。人との学びが好き。

こういうメタ認知を無理なく行える今の環境が自分に合っているのだろうなと思う。

 

ただ、理論即実践、実践即理論の気持ちは持ち続けたい。