放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

今日の学びの目的は何か。

今日は日本言語技術教育学会で愛知です。

http://www.kokuchpro.com/event/5afb8d257a3b4038d6ec8dbfa92a2e09/

 

参加の目的は、行ったことないから、です。

好奇心です。はい。単純ですね。

 

現会長である大内善一先生の『国語科教材分析の観点と方法』を取り出すと、

2012年から3回に渡って読んだ形跡が残されていました。

わかるところ・わからないところのメモがあります。

 

そうやって、本を読んでわかることと、

話を聞いてわかること・実感することは違うものです。

また、「いま」は何を思考しているのかも違うことでしょう。

 

そういった違いを知りたいと思うから、

私は今、名古屋に向かっているのだと思います。

なぜ学習記録を作るのか。

1 学びが消費されて、そこから何か生産されている実感がないから。

2 学びの蓄積の実感がないから。

3 学びの総合化(体系化?統合?)が弱点だと感じるから。

4 自分で考え言語化する力をつけたいから。

5自分の学びの歴史を見える化したいから。

6紙の重さで目に見えない学びの量を体感できるから。

7記録を編集することで何をしたのかもう一度学習する機会になるから。

8そもそもアルバムや日記など記録することが好きだから。

9過去の自分が言っていることを知ることができるから。

10記録を残し続けることで自分の変容を知ることができるから。

協同で授業を創る効果(教材研究編)

わたしの実感として、です。

  • 合意形成を取ろうとすると、必然的に他者の話を聞くことになる。
  • 自分と他者との感覚の違いがわかってくる。
  • 目的が定まっていれば、教材選択の拡散が起こる。
  • 予期せぬ教材との出会いが生じる。
  • その教材をどう受け止めるか、多様な考えに触れることになる。
  • 何に価値を見出すか、考えることになる。

分けることのわかりやすさ。

最近、「分けること」について考える。

国語の授業で、話す、聞く、読む、書く…と分けることや、

文法の授業で、品詞を分けること、など……。

論文を見ていて、類型に隙が見えてしまうこともある。

 

分けることは、わかりやすくすることで、

物事の本質とは離れることを覚悟しなければならない。

特に言葉というものは、科学的に分類しようとしても、

その体系は大きすぎて一人の人間に負えるものではないし、

時間と共に絶えず変わっていく。

しかし、私たちはついつい、分けられたものを見て、

そこにフォーカスが置かれっぱなしになってしまう。

 

それはやはり、分けることで、物事がわかりやすくなるからだ。

今起こっている問題も、小分けにして原因を分類すると、

解決できることが少しずつ見えてくる。

自分に起因するものは自分でなんとかすればいいし、

自分にはどうしようもない問題はとりあえず保留すればいい。

すると、次にどうするかの行動が見えてくる。

分けることは、認識を促進する。

次の行動を生み出すために必要な思考の一つと言える。

 

だから、分けることがわかりやすさにつながる。

「今日は書くことの授業です」と言えば、「書くことをするのね」と共通理解できる。

今日のところは話すこと聞くこと読むことの学習はさておき、書くことの学習をする、と重点が置かれる。

ただ、それは重点が置かれるだけなのだけれど、私たちは分けて考えることで次の行動がわかりやすくなる。

 

そもそも授業という時間も50分という区切りで行っているけれど、

学びは50分で収まるのが絶対的かと問えば、そんなことはないだろう。

ただ、50分であることで見通しが持てたり、その中で学ぶことが明確になったりする。他の予定が立てやすくなる。

分けることでわかりやすくなり、わかりやすさは学びやすさを生む。

 

それはいいことなのだけれど、

元をたどれば、やはり分けられないのが本来の姿だ。

いろいろな試行錯誤があって、どのように分けるのが適当か、

その選択肢の中で最も適当なものを選んだ、ということが多いだろう。

 

だから、敏感な学習者がその分けられなさに気づいた時に、

どのように教師が対応できるのか、

どうしてそのように分けたのか、

原理を知らないと説明はつかないのではないだろうか。

 

分けることでわかりやすさを生み出すと同時に、説明のつかない例外を生む。

わかりやすいことと表裏一体でわかりにくいことがある。

 

 

 

中学校は、夏季休業開始。

本州はもちろん、北海道でも多くの公立学校で夏季休業を迎えている。

知り合いの先生から便りが届くのを見て、それを実感する。

大学院は必修の授業が山場を迎えていて、あと2週間は気を抜けない。

でも、先が見えてきたところで、そろそろ私も夏モードに切り替えたいなと思う。

 

今週読んだ本

専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える

専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える

 

 なんだかずぅっと読んでいる感じになってきた。

 

あすなろ物語 (新潮文庫)

あすなろ物語 (新潮文庫)

 

 続きが気になって読んだ。

春学期の読書会活動で題材となった作品だった。

「克己心」という言葉が今の自分に響く。

 

 幸福とかなしみの描き方がすてきだなぁと思う。

笑顔と人の動きが見える漫画だなぁと思う。

停滞期もルーティーンを淡々とまわす。

集中講義が終わって、

いくつかの授業は春学期の終わりを迎えている。

「ではまた秋に」という感じは新鮮だ。

 

日常はうまくいっていることもあるし、

どうしたものかなと思うこともある。

計画を立て直そうと思う。