大村はまの単元学習に出会ってから、
ノート指導の在り方について大きく変わった。
そもそも、ノートとは何か。
概要をつかむには「事典」。
というわけで、大学院に来てから5種類の国語教育に関する事典を読んでいる。
昨日はたまたま明治図書の重要用語事典を読んだ。
東井義雄の学習帳に関する整理や芦田恵之助による読方科におけるノートの流れがあるらしいことを勉強する。不勉強のため、詳細は割愛する。
ポイントは、大村はまの「学習記録」がワークシートとして位置づけられる点だ。要するに、綴じられたノートかどうかで分けられるようだ。「学習記録」は大村が作成した手引きなど、授業で配付されたものを綴じていく形になる。ノートもワークシートも手製のものになる。
プリント型ノートを使う。
私は既製の縦罫19行のノートを用意させ、それを授業につかっていたのだけれど、改めてノート指導について考え、昨年はノートをコピーして使うことが多くなった。
生徒は授業前にプリントとなっているノートを準備する。
なぜそうなったかというと、授業後にノートを提出するためだ。
私の学習記録実践は年を経るにつれて、ポートフォリオにも近づいていったし、ふり返りジャーナルにも似ていった。
とにかく、毎日のようにノートを見る必要があり、返すのが遅くなったり無くなったりしては大変だから、授業終わりにすぐにコピーを取って返却することがルーティーンになった。
そのためには、綴じてある一般的なノートでは時間がかかるため、紙一枚のプリント型ノートを活用していた。プリントといっても、コピーをしただけ、教師が事前に手を加えるようなものではない。お手軽である。
書いたものを一覧化する。
コピーしたものは、大抵授業で共有化される。
疑問点や感想に、次の時間触れることがある。
考えを記入した場合は、全体で共有して再考することもある。
ノートにはそれぞれの考えや見方が書かれていくので、それらをB4用紙に8面印刷をかけると32人学級で両面2枚のプリントができる。
全員の書いたものが載るのを見ると、自分の書いたものがどうだったのか内省がおこる。
思わず「こう書けばよかったー」「もう一回書きたいな」なんて声が聞こえる。
十分に書けなかった、時間が足りなかった人も、他の人の書いたものを読んで学ぶことができると思っている。
留意点を挙げるとすれば、ノートが全体で共有されるものであることを事前に伝えておくことだ。共有されることが想定されているのとそうでないのとでは書きぶりが変わってくる。
一覧化からわかることをまとめる。
授業づくりの話をしていると収束をどうするのか、という問題を聞くことがある。特に多様な意見が出されるような授業において、後半のまとめ方をどうするかを検討する場面がある。意見が拡散し、もやっとしたまま授業を終えることに抵抗があるのだ。
そこで、個人に最終的なまとめを書かせるにしても、一覧化して共有したことから共通点や重要なことを取り上げて、少し整理してからまとめるといいと私は思っている。
子どもたちは有能で、教師があらかじめ答えを用意しなくても、誰かが重要なことを述べているものである。子どもたちから出てきた言葉をひろい、全体で共有することでこれまでの学習を振り返る。そのためにも、プリント型ノートの活用が有効だと私は実感している。