今日はずっと原稿作りやその他事務的な仕事ばかり。自分の論文の準備は進まず。定例の進捗報告会は継続中。仲間も頑張っている。劇的なことは何もなく、淡々と少し肌寒い3月が過ぎていった。
過去の実践を未来で生かす
今日は国語科授業参観の日。先輩の学習が次の学習者へ手渡される場面を目の当たりにする。先行く人の圧倒的な言葉の力を知って「あぁ…」っと声をもらしながら、自分もまた同じ課題に挑戦しようとする姿を見る。過去の実践を未来で生かすことは、これまでの自分の授業づくりにはなかったなと思う。「何からでも学べる」と言うのは簡単だが、それを実際に体現するのは簡単なことではない。
インプロ体験を振り返る
こどもたちとインプロ体験をすることがあり、その中で自分の行動に対してどのような規制が働いているかということを考えている。
一緒にインプロ体験をした方が「いかに自由でいられるか」という話をしていた。そもそも自由な姿がどのような姿なのか、という哲学的なことも考えだせばきりがないくらい深い問題なのだが、仮に自分の中に「自由」という枠があるとしたら「自由ではない」ゾーンも存在するわけで、どのくらい枠線と離れたところにいるのだろうかということをインプロした後に考えるようになった。
何かになってみたり、何かを表現してみたり、失敗を恐れずに挑戦してみたり、自分で選択して決めたり…
その中で「何になるのが正解か?」「この表現であっているか?」「これって失敗か?」「本当にこれが自分の選びたいことか?」と、自分の中で疑問が沸いてくる。
でも、どの疑問も、線の内側か外側かだけの問題ではなくて、グレーの濃淡の中を行き来するような問いだったりもして…
そして、「こうじゃなきゃいけない(かも)」と思って体が行動を選択するのだけれど、実はそう思っていない瞬間があったり、周りの目を気にして選択を変えたりもする。その瞬間に気づくことが、私のインプロ体験の中で起こることだった。
選択するからこそ、そうじゃない選択をしたらどうなるんだろうと考えるし、他者からまったく違った視点をもらって「そんな選択もあるのか」と気づくこともある。
うまく言えないのだけれど、インプロは私にとって外側を見る場面をとてもよく与える行為なのだと思う。
授業感想文を読みながら思うこと
授業感想文を読んでいると、
・教材(コンテンツ)に関する感想を書いている生徒
・単元から身についた力について書いている生徒
・自分の取り組み状況について書いている生徒
・授業構造に対する考えを書いている生徒 など…
いつかの内容で分けられる。
たぶん、私自身が、子供たちに対してできるだけ自分を客観視する見方を身につけてほしいと願っているから、そういう見方になるんだろうなと思う。「○○」を読んでどう感じたか、から、「○○」を読んで□□と感じた自分はどういう考え方を持っているのか、どうしてそのように考えるのか、といった問いをもってほしいのだと思う。
質的調査への共感
今日の作業内容は二つ。
一つは日本語史のレポートを書く作業。一つは質的調査に関わって読書。
間に修士論文に関する進捗を報告し合う時間があり、今考えていることを少しだけアウトプットする。
現代思想 2017年11月号 特集=エスノグラフィ ―質的調査の現在―
- 作者: 岸政彦
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2017/10/27
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「エスノグラフィをするとき、ディテールを通じて個別事例について話をしているのだけれど個別事例には留まらない水準が現れるということ」
自分の体験に当てはまるようなことを言語化されると、ピカッと光ったように文字を追う速度があがる。
中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)
- 作者: 國分功一郎
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調査の過程で調査者も変化していく。 この本ももう一度読みたい。
やってみる、挑戦する
授業づくりに限らず、何事も自分でやってみることが大事である。
やってみると細部が見えてくるし、どこが難しくてどこに時間がかかるか、どこがこの時間の一番の肝でもし時間が足りなくなったらどこを削るか……いろいろなことが見えてくる。やる前から何かを言うには、実感が伴わない。やった人だからこそ見えること、言えることがある。自分を当事者の位置に立たせることが物事を考えるスタートになる。
どんなに前に進みたいと願っても、ペダルをこぎ出さないと何もはじまらない。