放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

雨竜沼湿原に行く。

研修ばかりが続くなかで,夏休みらしいチャレンジ。登山。

雨竜沼湿原は絶景と評判のスポット。

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水でぬかるみの多い路。登り1時間40分。何度も滑りそうになる。座って休むとしんどくなりそうで、ゆっくり歩き続ける。
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急斜面を越え、川の音と共に路もなだらかになる。風が感じられる。

目の前に広がる光景は「天国」と称されるのもよくわかる。
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花を楽しめる時間は短い。咲き終わった花も多い。すでに蜻蛉の季節になっていた。
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風が静かに通り抜ける。
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素敵な風景が自分の目の前にずぅっと広がっている喜び。
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何度でも出会いたい。そう思える体験を大切にしたい。
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歴史がおもしろいという感覚は,10代では実感できなかった。

夏休み研修4日目。市内サマーセミナー。内容はフィールドワーク。

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 一人では行けないような場所をめぐる。開拓の歴史とか,意外と知らないのだよな。

歴史を知ることで今のいろいろな生活が説き明かされる。

今の生活につながっているのだと思うと,歴史を知るのがおもしろくなる。

歴史がおもしろいという感覚は,10代では実感できなかったことだ。

 

すばる8月号で酒井順子さんが言っていたことを思い出す。

すばる 2019年8月号

すばる 2019年8月号

 

 

「なくなればいいんだ」と放り投げてしまわないように

中堅教諭研修3日目。研修テーマは,生徒指導,危機管理,部活動。

部活動は今年度初の試みだそうで,少々放談気味になる。

 

3日間通して議論し続けると,たくさんの教育をめぐる課題や行き詰まりに焦点をあててしまいそうになる。

もう壊す「しか」ないのではないかと思い込んでしまう。

しかし,これは思考停止状態だ。

同年代の先生からあの手この手の小さいトライを積み重ねていることも教えてもらう。

今いる所からストーリーを続けることに,私たちが私たちであってもいいと思える未来があるのではないか。

 

 

本当に3日間盛りだくさんだった。

さすがに少し疲れが残る。

 

どうして学ぶ必要があるのか、ストーリーがある。

中堅教諭等研修2日目。前半が学校組織運営の話,後半が授業改善(各教科,道徳)の話。どちらも講義,協議,まとめ,現場に戻ってからの実践を決めるところまで。

 

2日目は協議の合間に「学びたい」という言葉をいくつかキャッチして,学ぶ場のあり方を考えることとなった。

研究授業をして,何もフィードバックをもらえないのも残念だし,何か打開策・解決策がほしいと切実に思うこともある。

実践したいことがあっても,実力のなさから大きな声で「やってみたい」と言えないこともある。

そもそも,忙しくて体調を考えるのが精一杯。やりたいことが続けられる自信もない。

 

だけど,このままでいいとも思っていない。成長したい気持ちも持ち合わせている。

関係性を育みながら,自分たちが今学びたいことを持ち寄れる場があるといいなと思う。

自分たちで問いを持つ。

自分たちで答えを探す。

届ける相手がちゃんと見える。

どうして学ぶ必要があるのか,ストーリーがわかる。

 

そんな学びの場がほしい。

時間や出来事を共有する。

中堅教諭等研修1日目。プログラムは,北海道の教育の現状(学力,体力,コミュニティースクール,小中一貫教育),学校組織マネジメント(SWOT分析,校内研修)。

 

学び手への信頼

学び方は,4人グループによる実態交流形式で,全体共有もほぼなし。教員が集まってしゃべるのだから,話題もそれなりに多岐に渡る。3日間通じてグループを替えながら交流していくのだから,十分に時間が与えられれば私たちは勝手に学んでいく。5年研の時よりも,学び手への信頼が感じられて嬉しい。

10年のキャリアは,それなりに一人一人の強みの教化,人事異動による所属校の環境要因を含めてそれぞれの教員を変化させる。十分に共通の課題を話し合う信頼関係もあるし,違いから見える新しい視点もある。

何より、ファシリテートする先生の状況の見取りがすばらしいのだと思う。課題も活動内容も時間の設定も、進行を妨げなかった。

 

学習の履歴を大切にしたい

小中一貫教育を推進する上での現実的問題については関心を持った。勤務校の現状ばかり目が行くので普段はあまり考えないことだ。

一人一人の学び方や強み,次の学びへの方法の選択を考える時に,学びの履歴は大切だと思っている。中学生の学びに対する認識も,小学校での学びの経験が強く反映されていることを実感する。いい意味でも悪い意味でも,中学校への進学をきっかけに「変われる」点は利点だ。しかし,いろいろな学びがリセットされるのでは意味がないなとも思う。何かを統一するとか足並みそろえるとかだけではなくて,時間や出来事の共有が,その子どもに関わる人たちでできること,それが一貫教育のいいところだと思う。

こう書くと夢想しているだけの自分を認識するのだけれど,この辺りは教師の側の学び方の認識,価値観も含まれてくるのでもう少し自覚的に考えなくちゃなと思った。

 

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www2.hokkyodai.ac.jp

エデュケーションアゴラで武藤さんのお話を聞いてから3年半経った。

 

書くことのプロセスで生まれること。

夏休み前、テスト前。

先のことを考えると優先順位が変わって、時間に余裕がなくなっていく。計画の足りなさが露呈する。

時間がないから、ついつい締め切りや完成に目が向く。終わらせる学習になる。

 

はっと現状に気づかせてくれるのは、学習者の記録。書いている途中での気づきに目を向ける。

最初は考えられなかった新しい発想、こういう題材ならいくらでも書けるといった自己認識、資料活用など執筆方法の再選択、筆者へのリスペクト…そんなことが実感として生まれればそれで学習としていいねをあげたい。

 

どんな気づきがあったのか自分に問いを向けることで、書くことの学習の価値を自分の中に根付かせる。

 

自分の目と向き合う時間を持てているか

近くの大学図書館で1冊だけ本を読む。

「読み書きが苦手な子」のアセスメントのページで,自分に自信がない子や自分と向き合うことを苦手とする子の話があった。

苦手な生徒にどうアプローチするかの論考はよく見られるのだけれど,この本では苦手になる要因を挙げていた。そのうちの一つに,自分に自信がないから教師の求めることを読んだり書いたりすることを学んでしまうことが書かれていた。

自分の気持ちを見つめること,自分の本当に読みたいこと・書きたいことを考えること,そして自分で決めること。今,私が学習活動を考える上で最も重視していることだ。

本を読みながら,自分自身の学び方にも内省が起こる。自分自身も学習者としてそうだったなぁと思う。答えを探すために情報探索している節もある。どこかに自分が抱える問題の答えがあるかもしれないと思っている。本当の問題は,問題の本質に気づけていない自分自身の中にあるにも関わらず。

 

評価の問題とも深く関わっていると思う。過度に教師の評価の目を植え付けることの怖さを思う。自分で知りたい・学びたいと思ったことを学び,学習過程を振り返って自分で善し悪しをジャッジする力をつけていくことが必要なのであり,一律の基準でパフォーマンスを裁くやり方には問題がある。

結局,誰かのジャッジを待っているだけで,自分の書いたものにいつまでも自信が持てない。自信が持てないから書きたいと思い続けられない。

評価が常に他者であることの問題を思い出した。