放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

自分の経験だけで語れない。

初任者研修でお話を聞いて、助言、という仕事をしてきた。10人ほどのグループの中で話したことは5つ。

 

1.やれることとやれないことがある。

2.職員室の真ん中で困っていると叫ぶ。

3.足を引っ張り合わない。

4.サブカルを学ぶ。

5.登山ルートが違う。それぞれにストーリーがある。

 

お話を聞いてみると、指導するかしないかのボーダーラインのことや、理想の教育像の違いなど、同僚の先生たちとの微妙なズレが浮き彫りになった。

慣れてしまって違和感を感じないこともどんどん言語化されていくので、私の方が問題に向き合う場になった。

 

参加しながら、初任時に授業を定点観測してもらったことを思い出した。初任者指導の先生がいて、毎回1、2枚のレポートとして紙にしてくださったのだ。そのおかげで、自分の課題を時々思い出しては立ちどまることができた。

 

しかし、自分が初任者だった時と今の先生たちの話には違う文脈がある。自分の経験だけで語れない。私ができることは、できるだけ一人一人のストーリーに潜り込んで、同じ目線で見つめる努力をすることだなと思った。

 

ひとつ気になったのは振り返りシートを紙ベースにすること。

大人なんだからデジタル共有できるといいのにな。

 

教育分野におけるeポートフォリオ (教育工学選書 II)

教育分野におけるeポートフォリオ (教育工学選書 II)

 

 

 

授業感想文から再出発―7月の振り返り

テスト後は,3カ月の授業の振り返るための学習記録づくりと,説明文「月の起源を探る」を使った説明文を書く単元だった。

学習記録づくり

本来であれば学習記録の完成モデルを示したり,目次をつくったりする時間を設定するのだけれど,今回は目次も作成せずプリント類を整理して表紙と奥付だけをつける形となった。あとがきも,最終的な文集型の学習記録になる前に授業作文を書くだけに留める。3年間の途中で新しいことを始めることの難しさを感じた。

当たり前な話だが,3年間で持ち上がっていた頃の3年生は,2年間の積み重ねがあった。だから学習記録をつくる学び方に習熟していたのだなと思う。

ただ,そんな中でできたものを見ていくと,やはり発見も多い。奥付はちゃんと作成したのは今回が初めてだが,定価を定めるときの子どもたちの判断の仕方はさまざまな様相が見られておもしろかった。

また,束ねられたプリント類にひもを通すための穴をあける作業も,今回はちょっと感動的だった。初回だということもあって,穴をあける場所の間違いがないように私が全員分の穴あけ作業をした。その時に,「自分でやっていいですか」と言ってきた学習者がいた。約1センチほどの紙の束に穴をあける作業がおもしろいのだと思う。そして,そのプリント類は全部自分のものだ。自分の本を作る作業だと思うと,誇らしい。

説明の技をプレゼンし,説明文を書く

前単元では,個人で描写を読み解く活動が主だった。今回は班での協同学習になる。

あとの授業感想文でも取り上げられていたが,活動に対する意欲の差が問題になる班が見られた。やっぱり互恵的関係の話をちゃんとしようと思うし,課題設定を学習者自身の問題ともう少し密接な部分に設定したいとも思う。

また,全体共有の場面で解説に困難が生じた時に,教師のフォローが必要になる場面も多かった。お互いの聞く必然性を作るために,班ごとに担当箇所を割り振ったわけだが,その発表の全体像を可視化してまとめる役割を私自身が果たせなかったことが悔やまれる。その問題点は,教科通信を発行することで補ったつもりだが,タイムラグができてしまった。タイミングって重要だ。

授業感想文を通した学習者との授業観討議

7月は夏休みに入る前ということもあり,40時間弱の授業を振り返って授業感想文も記述してもらう。いつも通り,100点満点の日はないんだ,という前提をおいて。

書く力のある学習者に恵まれて,授業について考える視点をたくさんもらう。次の選択ために私が考えなければならないことは,学習者の学びやすさだ。

テストで点数が取れるということも,中学生にとって必要なことなのである。活動の価値をいくら解いたところで,テストで点数が取れない自分は,やっぱり誇らしくない。

藤倉稔さんとお話をする。

1学期の実践の振り返りや授業づくりネットワーク下川集会の振り返りも兼ねて、藤倉さんとお話をする。

www.kokuchpro.com

話していくうちに,話題は私が大学院で何を学んだのか,誰と会ってどんな話をしたかと広がっていく。

もっとさかのぼってこの10年間で何を学んできたのか,大学ではどんな学びをしていたのかなど,ライフヒストリーの話にまでつながっていく。

過去をぼそぼそしゃべりながら,私にとって今・これからを見つめる時間となる。

 

「普通に授業をしてほしい」

1学期の授業を振り返ってみて,私の最も課題だと感じることは,教師と学習者の価値の共有だった。つまり,教師にとって良かれと思う方法の選択が,必ずしも学習者にとっての最良の選択ではないということだ。

授業者は学習者に対して,楽しく学んでほしい,わかるようになってほしいと願う。だから,そうではない場面に直面した時に,もっと違う方法はないかと考える。「あの子」のためにできることを考え始める。

しかし,教室では同時に「別のあの子」の学習も並行して進んでいく。授業者の見えていないところで,授業者の認識していない学習の事実が繰り広げられている。

だから「別のあの子」にとって,「もっと違う方法」は有効ではなかったりもする。「え,なんで?」といった混乱が生じ始める。かつてはうまくいっていた自分の学習が,よくわからないまま進められる学習に変化する。その時に学習者が願うことは,「普通に授業をしてほしい」だ。

授業者の感情としては,不安が大きくなる。課題を見つけて行動してみたにも関わらず,何だか別の課題が増えるばかりで上手くいっていない状況にめまいがするようだ。なぜ,自分は自分の願いを手放せないんだろうか。

 

経験から生じる学び方への信頼

もう一つ,大学での学びがその後の学び方への信頼につながることも思い知る。

大学での学びの話になった時に,藤倉さんと私の違いが浮き彫りになった。教育大でのゼミ,タテのつながりの話になる藤倉さんに対して,単独ゼミ(もはやゼミと言えない)所属だった私は,教授とのつながりが思い浮かぶ。正直,大学院に行くまで研究室同期がいる状況ってよくわからなかった。ゼミでの学びを経験する中で「ああ,こんな感じなのか」と初めて見えることがたくさんある。

そもそも,国文学研究室で同学年の所属がいなかった私は,教授と1対1で質問し続けるみたいな学びが深い学びだった。図書館で文献を読み,読んだことを教授を相手にアウトプットし,課題や見えていなかったことをフィードバックしてもらう。この後の方向性やヒントをもらって,また図書館に戻る。自分の見えていないことが見えている存在が近くにいることが重要で,その人に直接問うことが価値ある学びだと思っている節がある。一方で,私の学びは私に閉じている。だれかのためにと考える瞬間に,だれかが見えないこともある。

学び方の実感は時間がかかるものだ。大学を卒業しても10年は学生と同じですよと言われた大村はま先生は,何を大切にして若い頃を過ごしていたのだろう。

価値ある深い学びってなんだろうなと考えるときの自分が持っているイメージは,かなり偏っているものなんだと気づく。

 

足元をつぶさに見ること

視野が広がっていく過程では,学んできたことが自分以外のだれかに伝わらない場面に直面する。

そのたびに足元に戻らなきゃいけない。細部から目をそらさないこと。大きな方法論に問題があるというよりは,ちょっとした言葉の足りなさに問題があったりもするわけで,簡単に「次はこうしよう」と結論付けないことが必要なのかもしれない。

授業づくりネットワークNo.33―あなたの授業を変える12のポイント (授業づくりネットワーク No. 33)

授業づくりネットワークNo.33―あなたの授業を変える12のポイント (授業づくりネットワーク No. 33)

 

今井むつみさんの言葉。「いつも見ているはずのものでも,つぶさには見ていない」

雨竜沼湿原に行く。

研修ばかりが続くなかで,夏休みらしいチャレンジ。登山。

雨竜沼湿原は絶景と評判のスポット。

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水でぬかるみの多い路。登り1時間40分。何度も滑りそうになる。座って休むとしんどくなりそうで、ゆっくり歩き続ける。
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急斜面を越え、川の音と共に路もなだらかになる。風が感じられる。

目の前に広がる光景は「天国」と称されるのもよくわかる。
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花を楽しめる時間は短い。咲き終わった花も多い。すでに蜻蛉の季節になっていた。
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風が静かに通り抜ける。
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素敵な風景が自分の目の前にずぅっと広がっている喜び。
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何度でも出会いたい。そう思える体験を大切にしたい。
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歴史がおもしろいという感覚は,10代では実感できなかった。

夏休み研修4日目。市内サマーセミナー。内容はフィールドワーク。

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 一人では行けないような場所をめぐる。開拓の歴史とか,意外と知らないのだよな。

歴史を知ることで今のいろいろな生活が説き明かされる。

今の生活につながっているのだと思うと,歴史を知るのがおもしろくなる。

歴史がおもしろいという感覚は,10代では実感できなかったことだ。

 

すばる8月号で酒井順子さんが言っていたことを思い出す。

すばる 2019年8月号

すばる 2019年8月号

 

 

「なくなればいいんだ」と放り投げてしまわないように

中堅教諭研修3日目。研修テーマは,生徒指導,危機管理,部活動。

部活動は今年度初の試みだそうで,少々放談気味になる。

 

3日間通して議論し続けると,たくさんの教育をめぐる課題や行き詰まりに焦点をあててしまいそうになる。

もう壊す「しか」ないのではないかと思い込んでしまう。

しかし,これは思考停止状態だ。

同年代の先生からあの手この手の小さいトライを積み重ねていることも教えてもらう。

今いる所からストーリーを続けることに,私たちが私たちであってもいいと思える未来があるのではないか。

 

 

本当に3日間盛りだくさんだった。

さすがに少し疲れが残る。

 

どうして学ぶ必要があるのか、ストーリーがある。

中堅教諭等研修2日目。前半が学校組織運営の話,後半が授業改善(各教科,道徳)の話。どちらも講義,協議,まとめ,現場に戻ってからの実践を決めるところまで。

 

2日目は協議の合間に「学びたい」という言葉をいくつかキャッチして,学ぶ場のあり方を考えることとなった。

研究授業をして,何もフィードバックをもらえないのも残念だし,何か打開策・解決策がほしいと切実に思うこともある。

実践したいことがあっても,実力のなさから大きな声で「やってみたい」と言えないこともある。

そもそも,忙しくて体調を考えるのが精一杯。やりたいことが続けられる自信もない。

 

だけど,このままでいいとも思っていない。成長したい気持ちも持ち合わせている。

関係性を育みながら,自分たちが今学びたいことを持ち寄れる場があるといいなと思う。

自分たちで問いを持つ。

自分たちで答えを探す。

届ける相手がちゃんと見える。

どうして学ぶ必要があるのか,ストーリーがわかる。

 

そんな学びの場がほしい。