放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

エンドロールの途中で砂嵐になる。—2月の振り返り

逃げる2月なんて言っている暇もなく,2月は消え去った。

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個人的には人生初のインフルエンザを経験し,中旬以降体調的にずうっと不安定だった。

外出することもできず,世の中も落ち着かない日々。

家にこもることも多く,過剰に不安要素を数え上げるような日も多かった。

 

入試前の授業は生徒も登校したりしなかったりで,全員揃っての授業はほとんどなかった。加えて,インフルエンザによる学年閉鎖や自分の病休も重なって授業をしたのは数えるほどだった。

授業をするにしても,教室内で動き回るには狭く,話し合いをするだけでもためらわれるような気持ちになった。

受験を直前にして,子どもたちの不安も大きくなるようで,プリント学習を選択するしかなかった日もあった。

 

そして,臨時休校。

音もなく,今年度の国語の授業は終わってしまった。

 

生徒のいない学校で,残された学習記録を全員分読み,あとがきにコメントを書いた。

「未来に残したい言葉」も提出してもらっていたので,提出してくれた生徒の分と,提出できなかった生徒の分を空欄にして文集化し,まえがきとあとがきをつけて印刷をした。

あとは卒業式に配っておしまいである。

 

終ってみれば,いろいろと丁寧にやらなければならないこともある。

穏やかに春を迎えようとしている。

 

 

 

授業づくりに関して手にした本(2020年1月)

 これまでに自分も体験しておもしろいと思った授業を、愚直に追試しようと決める。

その一つが看図作文。

看図作文指導要領―「みる」ことを「書く」ことにつなげるレッスン

看図作文指導要領―「みる」ことを「書く」ことにつなげるレッスン

  • 作者:鹿内 信善
  • 出版社/メーカー: 溪水社
  • 発売日: 2010/06
  • メディア: 単行本
 

 鹿内先生の看図作文の模擬授業は何度か体験したことがあって,短時間で創作に没頭できるおもしろい実践だと思っている。

本で紹介されている絵は本当によくつくられていて,自然と「みること」から対話が生まれる。対話をしながら,想像が言語化され,物語が生み出されていく。物語の発見は,そのまま書くことへの意欲となって言語活動へと学習者を誘う。看図作文授業では、作文を書く活動にどんな付加価値を付けるかが課題となる。個人的には、物語の学びと関連した作文の授業が一番面白いと思っている。

実際の授業の中では,運営の仕方に気づきがあった。絵の中に描かれているものを言語化していく際,対話型鑑賞の授業をしている時と同じ展開になっていることに気がついた。

私の中の自由な美術―鑑賞教育で育む力

私の中の自由な美術―鑑賞教育で育む力

  • 作者:上野 行一
  • 発売日: 2011/02/01
  • メディア: 単行本
 

 対話型鑑賞の第一段階で見えるものを答えてもらう時と,看図作文で見えるものを答えてもらうとき,私は同じようにして学習者に問いかけている。黒板には,発言者全員の見えるものが書かれ,みんなの見方を持ち寄って,一枚の絵を言語化する作業をするのだ。

その中で浮かび上がってくる問いに焦点化し,絵の見方を変える分岐に立ったり,物語の視点を変える分岐に立ったりする。

この辺の授業の展開は,子どもたちへの信頼もあって,当然いろんな見方が出てくるだろうとか,問いに対する答えにばらつきがあるだろうとか,おもしろい展開になることが期待できた。

何というか,シナリオ通りにただ進めるだけの授業ではなくて,泳ぐように授業ができるようになったんだな……と単純な言葉だが,自分の成長も感じた。

 

「みること」の研究については,大学院の授業実践演習でも話題になった。広がりを見せつつあることを知り,改めてこの実践の価値を知った。

エンドロールみたいな授業―1月の振り返り

冬休み明け,北海道の1月は短い。

あまり雪もなく,雪道の苦手な私にとっては比較的過ごしやすい冬である。

学校ではインフルエンザの流行が話題となっているが,なんとなく自分には関係のないような気がして過ごす。

今週に入って最近お決まりとなっている喉の不調が見られるが,停滞期を迎えがちな冬もなんとか越すことができそうだ。

 

以下,仕事をしていて気になったこと。

 

〇チャレンジテストが3年生結果入力なしになっていた。

かつて,卒業間際に中3向けの北海道チャレンジテストの配信(結果入力の必要あり)の連絡が来て,入試のバタバタした時に無理やり授業で取り組まなければならず,とても反発を覚えた記憶がある。日常の文脈と乖離したテストに疑問を呈する人が多いけれど,今は配信時期も早くなったし,3年生は入力なしなので気軽に取り組めるようになったなぁと思う。

〇入試直前の授業はどうあるべきなのだろうか。

試験のための授業がこの時期に本当に必要なのか。ずっと問題意識がある。入試対策問題を解きまくる授業が続くことをよしとする生徒もいれば,推薦や私立受験で進路先が決まり勉強へのモチベーションを失う生徒もいる。今年は学習記録を完成させて一旦の中学校国語の授業を終了し,残りを「エンドロールみたいな授業」と言って授業をしている。これまでの国語で学習したことのまとめをしつつも,単発の活動型授業をしている。このメンバーであれこれ言い合いながら学ぶのも,これが最後だね,と思う。

 

 

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学年末に学習記録を読んで気づくこと

学年末の学習記録を集中して読んでいる時期なので,読んでいる間に気づいたことを記録しておく。

1 教師にとって気になる授業の記録に目が行きがち

自分にとって思い入れの強い授業とか,チャレンジングな授業は生徒の反応が気になる。ねらいが達成されたのか,価値の共有がはかれたのか,記録を読みながら授業を振り返っている。

学習者の反応は十人十色で,全員のために授業するのは難しいなと思う。

2 生徒間のやりとりに関係性の醸成が見られる

作文を書いたのを読み合い,付箋を通してコメントし合う授業の記録から,コメントの内容を通して,互いの関係性の変化が見られる。

3 ふとしたところに学習者独特の語感を発見する

毎日記録していると,ただ「難しい」と表現するだけにも,いろいろなバリエーションがある。

4 授業の知らなかった事実を確認する

グループ活動で全班の活動を逐一観察することはできないが,記録を読む中でどんな出来事が起こっていたのか,誰がどんな活躍をしたのかの一端を知ることができる。

5 言葉は足りなくとも,自分に残された事実を大切にする

教科書本文を読んで,十分に言語化できてはいないけれど「なんかきれいだと思う」と何かを感じ取った事実だけでも記録しておこうとしている記録が見られるようになった。

6 成長の記述が嬉しい反面…自己満足の側面も

できなかったことができたとき,その成長の実感が学習者にあることがわかると教師は嬉しいだろう。100時間の中で,そんな成長の実感が訪れた瞬間はいつだったのか,記録を通してわかることがある。

しかし,自己満足の側面もある。その評価の見立てはどの程度のグラデーションであるのか。本気で力をつける授業でなければ,成長の記述も意味を持たない。

7 誰のための学習記録なのか

私は記録を通して生徒のことを知ることができるし,おもしろい。でも,教師が読むことによって,「書きたい」よりも「書かされている」意識が感じられる記述も見られる。学習者にとって毎日記録を残すことは本当に大変なことなのだ。その大変さを上回るだけの得るものがどれほどあるのか。

 

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目次づくりと役割演技音読

学習記録目次づくりの予告

学年末テストが終わり,残すところ10数時間の授業時数を残して,学習記録づくりの終末にとりかかる。

最後の作業は,これまでの学習記録を束ね,目次をつくる。

今年度は学期末に目次づくりをせず,資料を束ねるだけの作業で終わらせてきた。

そこで,1年間の授業をふりかえりを兼ねて目次を作成する。

 

作業中に意識したいことは3つ。

・1年間の授業を思い出すこと。

・未来の自分に残したい言葉を探すこと。

・学習記録のあとがきにどんなことを書こうか考えること。

 

目次づくりは楽しい人には楽しいし,楽しくない人には楽しくない作業だ。

だけど,日々の膨大な記録を1枚に凝集することの価値も学んでほしいと願っている。

 

役割演技音読—『エルサルバドルの少女ヘスース』

学習記録づくりと並行して,教科書の残された教材の授業も進む。

今日はフォトジャーナリスト長倉洋海さんのノンフィクションを読む。

印象的な少女の写真とことばを読んでいく。

 

どうしたら学習者参加型の音読になるかなと思い,今日は本文中の少女ヘスースとその夫のフランシスコのセリフを読んでもらう。

最初,自分のなりたい方を選んで・・・と思ったが,ヘスースのセリフ量が圧倒的に多く,途中で「これはだれも選ばない」と気づく。

そこで,ペアでどちらかを選ぶようにし,クラスで半数ずつの役割を決めてみんなで読んだ。

ペアにした方が,隣の人がどんな風に読むのかを聞くことができるので,楽しく読むことができそうだ。

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 ヘスースの言葉も,フランシスコの言葉も,それぞれに何度か音読してもらって,何か感じるところがあるといいなと思う。

「自分で研究する」授業を考えながら思うこと

とにかく,自分で研究する,自分の題目で研究する,ということは,なんという張り合いのあることでしょう。むずかしいことが起こって,困って,苦労して……,そういうこともたびたびです。でも,先生に,友だちに相談し,ああすれば,こうすればと,くふうして,少しずつ進めていく張り切った気持ちは,苦しみながらも,”楽しい”——じっとだいじにしていたいような気持です。(pp.5-6)

大村はま国語教室 第15巻 ことばの勉強会

大村はま国語教室 第15巻 ことばの勉強会

 

どうしてだれも教えてくれなかったのか

 大学生になったとき,突然,「研究」という言葉が自分の問題意識として迫ってきた。大学を卒業するには卒業論文を書かなければならない。卒業論文を書くためには,自分で研究のテーマを決めて,研究しなければならない。

  でも,高校までの私は,大学に入るための点数を取る勉強ばかりしていたし,その「勉強」は早く終わってほしいものでもあった。大学への入学が決まって,やっと自分の興味のある「勉強」ができると嬉しく思った。その時は韓国語の習得が何よりも楽しい勉強で,やはりそこには「研究」ということばはなかった。

 大学に入ってからも,大学で何を学ぶのか?という問いは常にあった。大学の先生たちと交流を深めるうちに,大学で学ぶことと高校で学んだことの間にはとても大きな溝があるようにも思えた。そして,「研究」の初歩の初歩を学ぶうちに,どうして高校までの授業では,自分でテーマを決めて,自分で調べる授業がなかったのだろうと思った。

 厳密に言うと,小学校,中学校で調べ学習はたくさん経験したし,レポートや新聞にまとめる活動も多かった。しかし,どれも時間をかけて作り上げるような,自分だけの楽しみとしての学習ではなかったなと思う。課題として取り組み,終わらせることがゴールになる。そこに,新たな問いは生まれない。

 だけど,自分の横には,ものすごく熱中して楽しそうに研究をしていた学生もいたのだよな,と思う。高校生の私は,あの人は自分とは違って賢い人なんだな,とか勝手に思って自己完結していたけれど,実は誰よりも問うことを楽しんでいたのだろうな,と今なら思う。同時に,学び手として,受け身な自分をひどく恥ずかしく思う。

資料が語る

  大学院に行ってから,問いを持つことや,自分で課題設定して探究する授業に関心を持つようになって,改めて,学習者の「楽しさ」がいかに大切かを考えるようになる。今年度は,じっくり授業を創り直すことに意識を向けてきた。実装はまだまだ難しくて,結局はこちらがあれこれと準備しないと運営できない授業になっている。学習者に委ねるって,簡単なことじゃない。

 しかし,たまりにたまった授業記録や国語科通信を読みながら,その資料が語る熱意に心が動く。試行錯誤の末に,授業が形作られていく。長い時間が積み重ねられている……。こうして,誰かが苦しみながらも楽しく,大切に記録したものが,たしかに誰かに届くことがあるのだよな,と思う。

 

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最後の発表会とビブリオバトルー12月の授業

単元 状況を生きるー『故郷』の作文発表会

 ヤンおばさんの生き方,私とルントウの生き方について2時間パネルディスカッションをし,その話し合いから印象に残った発言と理由,そしてこれからの社会をどう生きていきたいかを綴った文集を読む。一人一人と作文を通して向き合う,おそらく最後の発表会になる。

 発表者が作文を読み上げた後,リレー形式でコメントを発表する。コメントを言い合う活動は,この1年間で何度も繰り返し行ってきたことだが,最初は発表者の意図を汲み取る肯定的要素の取り上げを重視し,最後は発言者にしか言えないコメントを考えることを課題とした。コメントは慣れてくると何でもすぐにわかった気になって簡単に言えてしまうけれど,受け手に刺さる言葉を選ぼうとすると,それだけでいろんなことと向き合うことになる。一人一人が書いたものを,一言一句大事にしたいと思う瞬間が何度もあった。

 「これからの社会をどう生きるか」なんて正直わからないし,難しいテーマだなと思うけれど,それでも「豊かさとは何か,貧しさとは何か」といった次の問いへのアプローチも見える作文もあり,15歳の一人一人の言葉の重みを感じる単元だった。

学年ビブリオバトル大会

 委員会主催での運営。学級ビブリオバトル予選を経て選ばれた代表者が3分の持ち時間で本を紹介する。質問もそれなりに出ておもしろい。昨年の経験もあったようで,場に慣れ親しんでいる様子。

 投票集計中の5分間の場つなぎで,私も本を紹介する。紹介したのは大村はま全集(笑)。たまたま代表者の本がすべて小説・物語だったので,そうじゃなくてもいいんだという話,それからみんなが毎時間やっている学習記録にどんな価値があるのかという話,本は時に自分の生活に寄り添ってくれる存在にもなるんだ,というちょっぴり青い話をする。

大村はま国語教室 第12巻 国語学習記録の指導

大村はま国語教室 第12巻 国語学習記録の指導

 

 あとは12月ということで,ふわふわと百人一首を楽しんだり,クリスマスにちなんだ絵本の読み聞かせをして2019年の授業を閉じた。

 

ここまでで85時間。

あとは1~2月の30時間で今年度の国語の授業もおしまいだ。