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放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

自分の作文指導の原風景を思い出す。

私は作文が苦手だ。

よく書けたな、という時もある。

しかし、「いまいちだね」「何が言いたいのかわからない」「思いが伝わってこない」「そもそも“てにをは“ができてない」と、職業を忘れたいくらい酷評を受けることもある。

 

たいがいそういう時というのは、何を伝えたいのかが定まっていなかったり、

自分の想いに任せて書いてしまい読み手への配慮がなかったりする。

※今も私の駄文に御付き合いいただき、本当に感謝いたします……。

 

ただ、書くことは続けないと力もつかないだろうとも思っていて、

それで書くことを大切だと考えている。

そんな自分だから、修士論文を書けるのか?が目下の課題である。

そのため、書くことに関する本が今はとても気になる。

 

「書くことは考えることだ。」

昨日久しぶりに再読した山田ズーニー「伝わる・揺さぶる!文章を書く」でも冒頭から述べている。この本を読むと、「作文が苦手」なのではなく、「考えることが苦手」、もっと言うと、「自分で問いを立てるのが苦手」なのだな、と考えるようになる。

 

 

伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)

伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)

 

 

冒頭では「とりあえず」が連発する高校生の作文を、2時間で本人の本音を引き出す作文に変える。劇的ビフォーアフターだ。

その部分を読んで、「そうか!私の作文指導はこれを理想としていたのか!」と思った。

 

山田氏は高校生に「問い」を与えてインタビューをする。

高校生はその「問い」に答えながら自分自身の考えを見つけていく。

まさにこの風景が、私が教室で行っていたことだった。

 

きっかけは、自分の高校時代の小論文に悩んだことだった。

それで本書を手にして、小論文課題に取り組んだのだった。

だから、中学生で作文に困っている生徒を見ると、問いを投げかけて

本人の言葉から発せられることを文章化する作業を行ってきた。

本を読んで、いまさらながら気づいた。

 

つまり、

作文を書くには、

考えることが必要で、

考えるには自問自答が必要で、

自問自答のトレーニングとして対話が必要だ、と私は考えている。

 

理論的なところはまだ不勉強だと思う。

作文教育を専門に調べるのかどうかもわからない。

しかし、筑波大学では国語教育コースで作文教育のプロジェクトがある。

そういえば、今日はその授業だったなと思い、

私の体験をもとに振り返りをしてみた。

 

さて、今日も学びにいってきますか。