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放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

私たちの書き記すほとんどは、既に誰かが形にしてきたものである。

 

 昨日はちょっとした挫折を味わいました。

 

休日は図書館の開館が9時になるので、開館までは自己啓発本を読みます。

スイッチ! 〔新版〕― 「変われない」を変える方法 (ハヤカワ・ノンフィクション)

スイッチ! 〔新版〕― 「変われない」を変える方法 (ハヤカワ・ノンフィクション)

 

この本では感情と理性を、象と象使いに例える比喩がおもしろいです。

そして、さまざまな検証の中で人間の本質を探ろうとすることがおもしろいです。

 事例が多いので読みにくいなと思う部分もありますが、

人の行動の見方を見直させてくれる本だと思います。

 

開館後は図書館蔵書を読みました。

大村はま」と検索するだけで60冊は出てきてしまい、ちょっとモチベーション下がります。(全集だけで16巻あるから当然なんですけれど・・・)

まぁ、まずは1冊と思って、昨日は1990年代の講演をもとにした次の本を読みました。

大村はま国語教室の実際

大村はま国語教室の実際

 

 講演を文字起こしされた方には本当に頭が下がる思いです。

半分、大村はまの講演を聞きに行ったような気分で、

時には「うんうん」とうなずき、時には「うーん」とうなって、

それでこどもの日の日中は過ぎ去っていきました。

 

大村はまを避けては通れない雰囲気というのが国語教育論文にはある気がするのですが、改めて大体のことはもう20~30年前に大村が言っていることが多いのだなと思いました。

 

例えば、平成元年の講演で、話し合いについての次のように話します。

 話しているだけで時間つぶしになる。先生のお話を聞いてしまえばいっぺんにわかったのに話し合いをしたものだから、二時間やっても何にもわからないと、そういうことになっているのです、現状は。話をさせているクラスでは。それでいやになって話し合いをさせなくなる。

 

では、質問です。

 暇つぶしの話し合い、していない?

 これって教師が解説したら1時間で終わったんじゃない?

 話し合いに時間がかかるからって、実際にはさせてないんじゃない?

 

さて、心当たりありませんか。

私は大ありです。

ダメキョーシ!(これ、言いたかった)。

 

最近は「主体的・対話的で深い学び」ということばを聞かない日はありませんけれど、安直な話し合い活動は避けたいところです。

では、その壁を乗りえるものはなんだったのでしょうか。

 

昨日読んで思うのは、大村はまが単元構想にかなりの時間を費やしていることです。

 

なぜ話し合いをするのか。

話し合いを通じてどのようなことを考えさせたいのか。

日常の子どもたちの様子から見て、この話し合いはどういう意義を成すのか。

さまざまな観点を単元が生成されるまでに思考しているのですね。

 

確かに、大村はまと今の現場教師の立ち位置は異なっています。

忙しさの中で、

教科書教材を教えねばと思い、

テスト範囲に追われ、

1年間の学習の漏れがないか不安になる、

今はそんな授業をしている気配があります。

比較しても仕方のないことです。

 

ただ、私は約30年前に(私がまだ生まれて間もなかった頃に)、大村はまが語っていたことが、今でも突き刺さるという事実は見逃せないことだなと思います。

まだ知らないだけで、さまざまな議論がこの周辺(学習指導要領改定)やそれ以前からもあったことは想像できますが、それからどのくらい進んでこれたのだろうか、と思うのです。

 

もちろん全国各地で優れた実践というのは多く残されてきましたけれど、

隠された授業の中には、山ほど「暇つぶし」の時間があるでしょうね。

 

おお、最後は大分辛口になってしまいました。

こうやって自分で自分の首を絞めるのはよくないです。

自戒。(この言葉も随分手軽に使っているな・・・反省。苦笑)

 

自分が考えることなど、既に何者かが形にしてきたものです。

そして、それは大村はまにほぼ全部あるのでしょう。

 

そんなちょっとした敗北感を味わい、昨日は図書館を後にしました。

いい休日でした。