型を知ってこそ、型破りな発想が生まれる。
天才は置いといて……
凡人のひとりとしては、やはり型から入るのが一番かなと思います。
今日は授業実習の日でした。
子どもたちがあれこれと考えながら限られた時間の中で自分の考えを書きます。
そこには最初に型がありました。
教師のフレームを示すことで、学習者の発想を殺していないか、
という批判がありそうなのが「型」です。
このあたり、不勉強なのを承知で言うと、
私が描く「書ける人」像は、
①「型」から入ってひとまず「書ける」を体験する。
②一度「書ける」とまた次も「書けそう」となる。
③ ①と②を繰り返す。
④気づいたら書いて書いて書きまくっている。
というプロセスをイメージします。
まぁ、型にもさまざまな質のものがあり、
それは学習者がどんな力を持っているかによって示される物は
変わってくるのかと思いますが。
ただ、書き続ける中で、型から外れていく瞬間が生まれるのではないかと思います。
「先生、ここはこうしたいのですがいいですか」
こういう質問が来たときは、おぉ!いいぞぉ!、と心密かに思います。
その人のオリジナルは、繰り返すうちに生まれてくるのではないか。
私の考えです。
……と書こうかなぁと帰り道に思いながら、ふと目にしたのが次の記事でした。
「まねる」は「学ぶ」ね……よく言ったものです。
そして、道と付くものは日本でずっとたゆまずに続いてきたことに気づかされます。
そこで重んじるのはやはり「型」から入ることでした。
そう思えば、未来はいつだって見えませんが、
なんとなく不易なものは見えてくるのではないでしょうか。
どうですか、ね。