放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

子どもの事実を受け取る。

昨日の午前中は文京区でこれ。

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午後に大村はま研究で敬愛するお友達に会ってノートを見せたのだけれども、

このタイトルだけで、「私は行きたくないなぁ」とはっきり言われる(笑)。

そうか、わたしは「学習指導要領」に対して知ろうとする気持ちがあるのだなと思う。

あくまでもその子との比較だけれど……。

 

彼女の初めての掲載論文を軽く見せてもらって、とても刺激を受けた。

そして午前中の知ったことと関連付けるとするならば、

「子どもの事実」というキーワードが浮きあがってきた。

 

それで、「子どもの事実」という観点で私が教室で何をしていたのかを振り返ってみると、

  • ふり返りジャーナル
  • 授業記録
  • パーソナルポートフォリオ
  • 個人面談
  • 日常の観察、
  • 他の先生との情報交流。

こんなところだろうか。

ただ、昨日話を聞いていて思ったことは、子どもの事実を知ることは、もっと繊細で細やかな作業だということだ。

特に、授業中や休み時間のポロっとこぼれた発言なんかに、重要なことが隠されていたりするわけである。

それらをどのように受け取り、どのように返すのかが問われる。

 

「おもしろいねぇ~どうしてそう思うの?」

「すばらしい発想ね。もう少し詳しく話せる?」

 

子どもの事実を知ることは、表面上の何かを知ることだけで終わらない。

どんな生活背景があるのか、私たちがちょっとした言動から知ろうとする日頃からのアンテナの高さが必要となる。

 

しかし、「知ろう知ろう」と前のめりになっているとできない。

自分という存在が自然と相手にも受け入れられるようになって、

相手は安心して自分を表現できるようになっていく。

 

だから、まずは教師サイドが子どもたちに自分を知ってもらい、

「この人なら大丈夫だ」

という安心感を持ってもらうことが大切なのだろう。

そして、その子どもたちがわたしを確かめるように出してきた「自分」をどのように受け止めるかで、わたしとその子の学びの関係性は決まってくるのだろうな、と思う。