昨日、四年前の学習記録を読んだ。
私はたしか、このように話して、子どもたちの間にこんなことが起こって、それでこうなったんだよな…
と思っていたことが、
全然違った。
紙で残されているので、自分に反論できない。
私、こんなことしてたのね、と記録を見て知る。
その記憶と記録の齟齬は、
私が子どもたちと話し合いながら授業決定をした証となる部分でもあり、
一方で自分が譲れずにこだわった部分でもあった。
いろんな記憶が錯綜している。
学習記録には個人差ももちろんある。
やはり私が思った通りだった、という記録もあれば、
そうではない逸脱した行動が見られる記録もある。
なぜこうなったんだろう、そう疑問に思い始めると、
思わぬ発見に出会う。
逸脱してくれた記録の作者に感謝したい。
研究のための作業をしてみると、
一見良さそうなことも、課題となって見えてくるから、
これは次にこうしてみようと考えて、
またさらに記録が増えていく。