放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

「流動」という使いやすい言葉について。

「流動」とは、物事が状況に応じて移り変わることです。

経済学について疎いですが、特にそこで使われるのを見聞きしたことがあります。

 

経済学で使われる言葉としては別の文脈になってしまうかもしれませんが、

今年3月の離任式では、古典教材の暗唱授業を思い起こしながら、

いろいろなことは絶えず変わっていくことを話しました。

 

また、昨日の大学の授業では、「若者支援」をキーワードに

社会構造の変化について、授業者一人一人の考えを聞き合いました。

私は家族観の変化について話したのですが、

その際に「流動的」と、自然と言葉にしていた自分に気づきました。

「当たり前」が変わっていることを考えることが大切だと思っていて、

自分の見方も、やはりひとところには置いておけない気持ちを強くしているのだなと思います。

 

ただし「流動的」はとても使いやすい言葉で、

そこで話を止めると「で?結局どうするの?」となってしまいます。

立ち止まって一つのあり方の価値を捉えることもまた大切なことで、

その際には、大きな流れの中でのあり方と共に見ることが理想なのだと私は思います。

先の家族観についても、「変化している」というのは、いつの時代と比べてなのか、

そういった知識の上で話せないといけないのです。

数十年では足りなくて、もっと長い歴史の中で考えるとよさそうです。

 

理想論ではありますが、ひとまず今考えていることを書いておきます。

 

今日は筑波大学附属小学校で公開授業研究会が行われます。