放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

「わからない」こそ掘り下げる価値あり。

授業を受けていても、ついつい、正解を探しながら思考している自分がいます。

しかし、白か黒か、どちらかに分けられない問題が山積しているのが世の中です。

グレーの濃淡を知ることの方が大事で、自分の考えはどのあたりにあるのか、

その微妙なところを論理的につきつめていくと、何か見えてくるものがあります。

 

自戒も込めて、「わかりやすい」ことは安定していて情緒的にも安心しますが、

「わかりやすさ」のために切り捨てられているものに自覚的でなければなりません。

論文執筆の過程では、図や表に分類して研究の位置づけを試みようとすることがよくありますが、○か×かの2項対立軸だけでは見えてこないことも多いなと感じています。

 

また、研究には「わからない」からこそ取り組む価値があることも再認識しています。

自分である程度見通しが見えているようなことなんて、

もうすでに誰かがまとめているものばかりです。

自分でも「なぜ?」「どうしたらいいのだ?」という問いの集合から研究はスタートしていくのだと、

修士論文と向きあう中で改めて感じているところです。

 

切り花の美しさにも限りがあります。

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それよりも、土を耕し、種を植え、懇切丁寧に手を加えた植物の方が

どんな花を咲かせるのか楽しみがあります。

そして、長く楽しめる可能性もありますよね。