放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

体験を通して促される自己認識。

即興型学習会合宿ワークショップin大阪、2日間楽しんできました。

 

特に、プログラム開発を通して「グループ分け」について

運営側と参加者が徹底的に考えた2日間だったと思います。

 

この回の狙いは、それぞれの現場におけるプログラム開発でした。

そのためには、それぞれの現場においてどういうことに挑戦したいか、

そのことを共有する必要があります。

そして、その時に「私は~したいです」だけでは足りないと思いました。

具体的な瞬間をエピソードで語ることが必要だと思いました。

 

私のグループでは「心の解放」がキーワードでした。

「周りの目や失敗を気にして自己規制をかけすぎると、本来の心と向き合えないから、自分が持っている表現力を表に出すために心の解放が必要だ」

グループでそのような話が出てきました。

 

そして「心の解放」が起こったエピソードを共有し合い、

そのためにはどんな日々の取り組みができるか

これまでのそれぞれの経験からアイディアを出してみました。

 

それぞれに持っている経験を活かしてさまざまなアイディアが出されました。

それらを実際に体験しながら、うまくいった感じを確かめたり、

うまくいかなかったところを話し合ったりしました。

「最初からうまくいかなくてもいいから、まずはやってみよう」と思って、

何度もやっては考え、やっては考え、を繰り返します。

その繰り返しの中で自分たちの思考が揺れ動いていくのがわかります。

それから、グループで共有していると思われるものに差異があることにも気づきます。

 

やってみて、感じて、言語化して、

またやってみて、感じて、言語化して…

こういう繰り返しです。

 

グループづくりを含め2日目はほとんどこのプログラムに時間を費やしました。

 

さて、それは自分でも思った以上に楽しかった瞬間がいくつもありました。

心がひらいて、自然に笑っていたり、悩んでいたりするのです。

 

しかし、実は私にとって最も印象に残っている瞬間は、

グループ分けに入る前のアクティビティでした。

 

それは、大縄まわしを演じている人の縄の中に、自分が飛び込んで跳ぶことでした。

 

勢いで入った私は、おそらく本当の縄があったら足をひっかけている感じで飛び込みました。ただし、エア縄跳びなので、本当にひっかかったかはわかりません。(笑)

その後で次々と参加者のみなさんが縄に飛び込んでいきました。

それを見ながら、リアル大縄跳びの体験を思い出すのです。

 

ふと、「これまでの自分は飛び込むことから逃げてきたな」と思いました。

 

ここには、一緒に遊んでいる友達の楽しんでいる場を壊したくない、

自分がその流れをとめたくない、

そういう規制が自分に働いていたのだと思います。

 

そのことを思い出した瞬間に、

私は「飛び込まない」と決めていた自分に気が付きました。

 

「できる/できない」「成功/失敗」この対立がはっきりしている時、

「できない」「失敗」に焦点が向くと、行動を回避する方向に動いていきます。

 

エア縄跳びをしながら、単純に、挑戦してない自分を実感しました。

そして、エア縄跳びは比喩であり、日常のさまざまなことがこの実感に結びつくなとも感じました。

 

昨日のこの経験を通して、「本当は何かに挑戦したいけれども、周りを気にして挑戦していない自分」を自覚することに至ります。

そして、同時にフィクションであっても、自分の経験を引きだすことになり、

何らかの実感を伴った振り返りを促すのだなと思うのでした。

 

即興で何かを考える。

感想でしかないですけれど、

揺さぶりの中にいた自分を正直に書き留めておきます。