学習記録において、私と生徒の間で見られたずれの例を1つ挙げましょう。
私の指導していた学習記録では、毎時間の授業記録として、縦罫ノートの上段右に①学習内容、下段に②学習メモ、上段左に③振り返りを書く形式でノートを書くようにしていました。③振り返りには「事実」「学んだこと」「感じたこと」を書くことにしていました。
逆T字型といえばイメージしやすいでしょうか。
授業記録の方法に慣れた始めた2学期に、振り返り欄に「右に同じです。」という記述が見られました。右というのは、①学習内容のことです。これは一度ではなく複数回に渡って記述が見られます。
この記述から、授業の始めに提示した授業内容と実際の授業内容が一致していた、と生徒が認識していると言うことができると思います。
一方で、本当にそうだったのだろうか、と疑問に思います。
それで気がつくのは「学習内容」=「事実」とその生徒は解釈していたということです。
それに対して私は学習の流れとして学習内容を箇条書きで挙げましたが、実際に誰とどんなやり取りがあり、どのようなことが起こったのか、授業の具体的な出来事を「事実」としてとらえていました。
そして、その具体的な出来事をとらえて言語化することを「事実」としていました。
「事実」を記述することに、私と生徒の間で認識のずれがあったと言えます。
このずれは、毎時間の授業記録でどこまで詳細に出来事を記述すべきなのか、記述することにどのような価値があるのか、そもそもこの記述は必要なのか、という問いを投げかけてきます。
私の答えは、起こったことを認識することから考察は始まる、です。
だから、「事実」を記述する力はあった方がいいと思っています。