公開授業の事後検討の場に対する問題意識を持っている先生方は多いと思う。
議論が表面的な一問一答ばかりで、授業の核心をつかない。
一部の人だけの議論に終始してしまう。
肝心の学習者の姿に話が及ばない。
授業者の先生の中に思考の深まりが起こらない。
さまざまな現象と要因があるだろう。
特に聞くのは、指定討論者や助言者の立ち位置の問題である。
指定討論者によって解答を披瀝するような時間に対して反発は強いように思う。
もっと参加者全員が見方や考え方を持っているのだから、
それらを引き出してよりよいアイディアに練り直すことができないか。
そういう事後検討のあり方を考える人は多いと思う。
しかし、対等な関係性での質疑応答だけの場合、
授業者(提案者)や参加者の疑問のアウトプットはできるかもしれないが、
「それで、どうしたらいいと思う?」という次のアクションに
つながらないことも多いのではないか。
ある事柄に対して持っている情報量が人によって違うということは事実だ。
情報量が多ければ、さまざまな観点からの見方ができる。
問題は、一定の価値観・考え方を持った1人の人が発言を繰り返すことではないか。
また、ある価値観において考え方が異なる時に、耳を塞いでしまうことではないか。
複数の発言者の時間を持ち、いくつかの視点を場に投じる。
すると、そのうちのどの意見に近いなど、自分の立場があきらかになってくる。
そして提案の引き出しが多ければ多いほど、よりよい選択の余地が生まれる。
「なくせばいい」という問題ではなく、問題の共有をはかりながら、
専門家として持っているアイディアをそこにいる参加者の見えていない領域を見定めながら
提示できることが大切なのではないかと思う。