放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

ストイックへの憧れ~国立新美術館「安藤忠雄展:挑戦」

「挑戦」し続ける

「時を重ねるほどに感謝の思いが募る一方で、彼らもまた住みこなすことに挑戦せねばならない。」

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 安藤忠雄の原点として紹介された大阪の住吉の長屋に関する文章である。住吉の長屋は都市の空気を家に取り入れるかのように中庭が作られ、生活はその空間によって分断される。簡単に言うと、「住みにくい」。

 しかし、そもそも住まいとはそのようなものだったのではないか、と考えさせられる。さまざまな不便さを抱えながら、生活の知恵を使って人間はよりよく住もうとしてきた。また、利便性を求めすぎず、どこかではいい意味で諦めながら暮らしてきた。安藤建築を見ながら、わがままになっている自分を見る。「挑戦」というテーマに対して、まだまだもっと何かできるだろうと自分に問いかける。

東京で北海道に出会う

 今回の展覧会参加の動機は、8月に行った直島プロジェクトに心が動かされたからだ。なぜあのようなプロジェクトを進めることができたのか、なぜどこにもない、記憶に残る建築を創りだすことができるのか、さまざまな興味が湧いた。

 もちろん直島に関するインスタレーションも素敵だったけれど、それ以外の作品も興味深く見た。特に意外だったのは、何気なく過ごしていた北海道の建築物に東京で出会う、という体験だ。なんとも言い難い思いがした。

「頑張れ」に対して思いを巡らす

 作品展のテーマ「挑戦」は作品の展示方法によく見られたと思う。建築の展覧会というのは、見せ方がとても難しい。だって創ったのは建物なのだから、まさか美術館に建物を集めるわけにいかない。そのため、設計図やタブレットによる動画が展示のメインになる。かの有名な「光の教会」だけは、特設で野外に作られ、あの光の圧倒さを疑似体験できるようになっている。

 ただ、私が最も注目したのは模型である。特に後半に行けばいくほど、大規模で精密な模型造りが展示されていることに驚く。その模型は今回の展覧会のためにわざわざ作られたものがあって、特に建築科の学生が協力して作成されたものもいくつかあった。作成過程を定点カメラで記録し、その様子も展示されているわけだが、あの1つ1つの根気のいる作業を思うと、「ああ、これめっちゃ頑張ったんだな…」という思いになる。

 安藤忠雄曰く、建築を創りだす時に大切にしているのは「見た人の記憶に残ること」らしい。そのためには、がんばらなきゃいけない時もある。町を知り、人を知り、そこからアイディアを絞り出し、限られた制約の中でデザインをする。批評家の浅田彰は「ストア派建築」と評するわけだが、その批評に納得せざるを得ない。

 一方で、今の社会に「頑張れ」至上主義が合わないことは、多くの人が思っていることだと思う。頑張ってもどうしようもないことが現実にはあり、頑張ることによって悪循環を生むことがある事実を目の当たりにしている。頑張らずしていかに自分の目的を成し遂げるか、そのことの方が重要な節がある。そして、さまざまなSNSの日常のつぶやきからも、「頑張らないように頑張る」といった、自分を制御する言葉を目にする。私自身も実際にそうつぶやく。

 その上で、安藤展を振り返って改めて思うのは、「頑張る」か「頑張らない」かのどちらかなのではない、ということだ。何かを成し遂げたいという欲望は誰にでもあるもので、それがどこから湧き出て、どのようにそれを自分がとり出すかなのだと思う。

 つまり、自分の外側から刺激されて行動しているのか、自分の内側から湧き出るものがあって行動しているのか、そのことを意識できるのかどうかの違いなのだと思う。

 もちろん外側からの刺激によって内側が変わることもあるだろう。しかし、元々自分の内側にあるものを、自分のルーツやこだわり、夢中になれるもの、立ち位置等から見つめることによって、頑張らずして自分の成し遂げたいことに近づくのではないか。

 安藤展を思い出しながら、「頑張る」ことについて今も考え続けている。