調査目的の検証授業なのである
附属学校での研究授業が一区切りをついた。
この授業に関わった授業者、補佐、調査、合わせると17名になる。
現場と大きく異なるのは「研究」のための授業であって、検証する観点で授業が構成されていることだ。
そのため、現場の先生にしてみたらこんなの実際にはできない、という設定がたくさんある。
でも、今の段階で目的は現場で実際にできるかどうかではない。実際にどんな効果があるのか、どんなデータが出てくるのか、である。私たちは調査協力校の生徒の実際を表面的にしか知らないし、先生の普段の授業も多く知っているわけではない。実践に落とし込む際の工夫は、教室と先生と生徒がいて初めて成り立つのだから、そこをいくら言及しても、対話は続けられない。
もちろん、今の段階で、なのだから、ここから実際の教室で実践するためにどんな工夫が必要かは考えていくことができるだろう。
限られた時間内で創り出す
さて、私が今回一番に問題に感じた点は、授業内容ではない。
授業研究日の本番に向までに使われた準備作業の時間である。
本番までに数回模擬授業検討をしたが、大学院授業が終わる18時から始まり、21時に話し合いを終えることが大半であった。
指導案班は、それから指導案の修正をする。結局、分析や方法を吟味すればするほど、時間がかかる。思考は深まるけれど、そこに注ぐべきエネルギーを使う。時間やエネルギーを使い、それ以上の成果を実感できない時、疲労感が強く個人の中に残されていく。そこにかけたコストと得られるものとの差を見たとき、これは継続してできるのだろうか、と疑問が残る。
ここで、うまくリーダーシップが働けばいいのにな、とふと思う。誰に何をしてもらうのか分担できて、何を共同の場で話し合うべきなのかがわかりやすくなるだろうと思う。
なぜこんなことを私が思うのかといえば、校内研修も同じ構造だと思うからだ。今回調査に多く関わった院生は学校現場での経験がほとんどないストレートマスターだ。彼らが後ろの時間を決めずに長い時間をかけて調査研究する姿は、そのまま日が暮れてから明日の授業準備に追われる姿を思わせる。私もそうだった。家に持ち帰り、エンドレスに資料を作ることなんてたくさんある。今回も、わかっていたけれど、時間がなくて早朝に作業することも多かった。
でも、これでいいのだろうかという不安や焦りの中で何かよい仕事ができていたかといえば、そうではない日が多かったように思う。
もちろん過去の実践から十分に学ぶべたであろう反省点やもう少し工夫ができた点はあるが、はじめてのことに挑戦するときの見通しの 立たなさは想定した上で、余裕のある計画を立てるべきだったと思う。どうしたって目の前の生徒を相手に思う時、教師は全力を尽くそうと頑張ってしまうのだから、議論は尽きない。お互いの差異を丁寧に対話して一つの目的を共有する作業は大切だとわかるけれど、同時に、関わっているそれぞれの人の時間をどのように費やしていくかは、十分に検討されなければならないと私は思う
一番に優先すべきは「またやりたい」と自然発生的に研究が進むことであって、「もうすぐ終わる」とゴール前みたいなしんどさの残る研究ではないだろう。共同研究の価値とあり方は今回とても考えさせられる経験となった。