若い人(具体的な世代ではなく、ある一定の人たちにとって相対的に見て若いと判断される人)の思考が固定観念にとらわれていて、真面目で、柔軟性にかける、という話を聞いたことがあります。
私自身は微妙な年齢に差し掛かってきているので、この話題は先輩側としても若手側としても結構イタイ問題です(苦笑)。
でも、話を聞いていると、若い人側の論理もよくわかるなぁと思います。
失敗できないのです。無難でも安定的に教室を回していかなければならない、これは切実です。
そのためにありとあらゆる先輩先生の知恵を応用しますし、学校のしきたりには従いますし、和を大事にするために違和感があってもぐっと口をつぐむこともあります。
新しいことにチャレンジするということについても、寛容な人のレベルはさまざまです。教師集団だけでなく、子どもたち、保護者や地域の目もあります。自分のやり方が本当にいいのか、葛藤の中で日々問題が噴出しては対処し、その場その場で考えるべきことは山積み……それで柔軟性にかけると言われても、どうなのだろうか、と考えます。
いや、「真面目」、という評価について正直私たちはあまり良い評価だと思っていません。
もちろん未来の子どもたちのために新しいなにかを創造することができたら、とも思います。
ただそこにエネルギーを注げる環境やこれまでのライフヒストリーが必ずそれぞれにあるのです。ある1つ2つのエピソードを持ってして、若い人は、と決めつけるにはちょっとな、と思います。
むしろ、本当に新しいのはやはりそのまま新しい人が持っているのです。
それを引き出すこと、共に生み出していくこと、形にしていくことこそが世代間における課題なのではないかと私は思います。