放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

問いのことばを持ち続ける

いつもそうだよなあ、と思う。

 

自分が発表の場に立ち、他者からフィードバックをもらう時、「どうしてこの問いを私は置いてきてしまったのだろうか」と思う。途中の過程で気づいていたはずなのに。

 

でも、どんなに自分の中で一度問うたとしても、その問いに「その瞬間」向き合わず言語化しようとしない限り、それは自分に問うたことにはならないのである。その問いを自分でつかまなければ、後から人に言われて「そんなこと一度考えたな」と思っても、自分の問いにはならないのである。

 

問いの忍耐量とでもいうべきかだろうか。思考というのは(…なんて高尚なことはとても威張って言えないのは承知で)いくつ自分の中に問いのことばを溜められるか、ということなのだと思う。わかったつもりになっても、また自分に問いを投げかけ、その問いに答え続けることが、考え続けるということなのではないかと思う。