放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

実践をひらこう

自分の拙い実践なんて…と考えだすときりがない。

だけど、どんな優れた実践もその過程には葛藤と反省がある。学習者を前にしてあれこれと考えを巡らす中で、実践は実を熟すのだと思う。

確かに自分の実践を公開することは自分の至らなさや恥ずかしさ、情けなさとセットであり、批評の目に耐えうる力も必要なことである。その批評の目をいかに自分の成長の糧として大切にできるか、ここに研究の場に立てるかどうかの分岐点があるように思う。

 

12月の授業や研究に関わる出来事を通して、自分のスタンスが受け身であることをとても感じる。いつも健康で万全な状態であるとは限らず、良いとき悪いときの往復の中でやれることしかやれないのだろうけれど、12月も終わろうとしている中で、やはりもう少し読み書きをする時間を持たなければならないという焦燥感を持つ。

 

~しなければならない、と言っている時点で、かなり無理があるのだけれど、元来なまけものな私は多少無理をしてでも習慣を作った方がいいのだろうなと思う。

それでも達成できることはわずかなのであり、それが自分の力量なのだろう。

 

まずは問いだ。かっこつけても、具体的に何も始めなければ意味がない。リサーチクエスチョンの拡散と、その中での価値づけ、調査目的の発見、具体的調査内容……ああ、もう何度もやった気がするけれど、このことを念頭に置いて授業記録の作業をしよう。

 

いつでもスタートは、ここから。