放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

学びの場と記録

中学校では、紙に学習記録を残してきた。このことを可能とするのは、学びの場の大半が学校を定点として行われてきたからだと思っている。学校には自分の机と椅子が置かれ、1日を過ごす当面の場所がある。さまざまなツールは学校にある。家から毎日何を持ってくるか、どのように記録を残していくかなど、さまざまなルールもある。

学校から離れてみると、学びの場は多様である。街中いろいろなところで読み書きができる。私はカフェが好きで、いくつかのカフェと図書館を移動しながら作業をすることがある。そこには私以外にもパソコンに向かう人、テキストを読み込む人がいる。何か新しいことを学ぶときは、自分から外に出ていくことだってできる。

ただ、移動して学ぶ時、どうしても同じツールが手元にないことに気づく。一定の記録を残すためには、いつも携帯していることが必要だ。私は紙ではなく便利なタブレットを使うことも多い。大学院授業の記録は、プリントやメモも含めてファイリングし、自分の研究室で保管している。自宅にも大量の記録があるけれど、ここは正直生活と一緒になってしまうこともあり、こまめな保管には向かないと感じる。

 

そんなことを考えていると、紙を冊子にした学習記録は、学校という環境の中で機能することに気づく。どこか学びの定点があるというのは記録を蓄積しやすい環境なのだなと思う。また、学ぶ場がどのくらい流動的なのかによって、記録のあり方は変化していくのだな、と思う。