放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

記述の視野の広がり

  今日はある生徒の記述から。

 

 一年間の国語の授業を通して、たくさんのことを学び、身につけてきました。授業の内容は、漢字や辞書引きを毎日少しずつやり、教科書をすすめることの繰り返しでした。本を読んでくれることもありました。最初は、漢字、辞書引き、読み聞かせ、に時間を使いすぎだと思っていましたが、そのおかげで漢字が書けるようになり、辞書を引くのが早くなり、考え方も広がりました。とてもバランスのいい授業だったと今は思っています。

 

 この授業感想文を読んで自分の授業がどのように受け止められているのか、言葉の端々からよく伝わってくる。授業者としては授業構成に関する反省がめきめきと沸いてくるのだが、そういった個人的な反省の念は置いといて、ここで取り上げたいのは生徒が授業構成について言及している点である。

 学習記録あとがきでは、その学期を振り返って自分が頑張ったこと、印象に残ったことなどを書く。自分はどうだったか?という視点で書かれることが多い。

 ところが、授業に関する記述を重ねていくと、授業に対しての考えが表れるようになる。私は授業内容や展開を構成する者=教師という見方で「授業者」と言ったけれど、授業の選択は学習者とのやり取りで変更する余地がある。こうでなければいけないという学び方はないわけで、学習者が他の学び方の可能性を検討する思考があるのは当然のことである。むしろその思考が働くような学習者でなければ、自立した学び手となることはできないだろう。

 どのような過程で、どのようなことが起こり、その結果どんなことが言えるのか、何度も何度も記述していく。その繰り返しの中で、自分の学びのあり方を自覚的にとらえられるようになってくると、それは一人前の学習者と言えるのかもしれない。