放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

内なるものを知ろうとすること

 

 


「さまざまな質問に答える」

P76
問 学習記録の一ばんのねらいは何ですか。
答 書くことの基本的な力を養うことです。書き方、よい文章、そういうものを載せている土台作りといったらよいかと思います。よく言われることばでいえば、筆不精をなくすことです。私の妙な言い方をお許しいただけるなら、心を文字にすることです。
(中略)
 子どもは、学習を―その力も努力も―確かに見てもらっているという安らぎがあると思います。もちろん、子どもたちはそのような表現はできませんし、言ってみせても、そんなものかなと思うくらいだろうと思いますが。
 指導者としては、子どもの学習に肉迫するような実感があります。どんな力がどうなっているか、その力をとりまく本人の内のもの、それが先方から教えてくれるかのようにわかるので、やはり何か安らぎが出てきます。(略)
 私としては、学習記録を見ることなしの指導は、ちょっと考えられないのです。教材を一つ選ぶにも、ひと言ほめるのも注意するのにも、たじろぎそうな気がします。
 ですから、学習記録から得ている大きなものは、この両方の安らぎではないかと思います。

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子どもたちの内なるものが教えてくれるかのようにわかる、というところに、振り返りジャーナルの「チャンネル」要素との共通性が感じられる。

授業においては学習記録、学級においては振り返りジャーナルから得ている大きなことがあった。子どもたちとつながるツールはもちろんそれだけではないけれど、人のことはわからないからこそ、少しでも心の内を言葉にする活動を続け、その一つ一つの言葉と向き合っていくということを私は大切にしたいと思う。