放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

「書くことによって学習を開いていくのである」

 

単なるメモ帳でもない、忘れてはいけないことを記しておく、いわゆるノートでもない、学習をとらえておくものではなく、書くことによって学習を開いていくのである。たとい優れた記録にならなくても、それを書いたことによって、その人のうちに育っているもの、書くことによってみがかれる力が貴重なのである。(p.22)

 

 大村はまはノートと学習記録の違いを強調しているが、違いはその機能をどのように位置づけるかにある。つまり、わかっていることをメモする「記録」としての機能だけではなく、わかるために書く、記録を書くことそのものを学びとして位置づける、学習法としての機能を認識している。

 そして、この文章に今の自分が引っかかるのは、論文を書こうとする中で、はっきりしないことをことばにしているうちになんとなく形が見えてくる体験をしているからなのだと思う。実践当初は「わかるために書く世界」の実感がなかったが、今、こうして学び直す過程の中で、自分が学習記録の意義を捉えなおしていることに気付く。