放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

記録と評価の関係は?

 自分のルールとして、記録を書く際に字数の指定を設けていない。そのため、1行で終わってしまう日もあれば、空白の日もたくさんある。

 そのような習慣の欠点は、あとで見返した時に「この日は何をして何を考えていたのだろう」と思う日が多々あることだ。意外とその日の実践におもしろい事象があったりして、もっと詳細に記録を取る癖をつけるんだった…と後から後悔することも少なくない。

 一方で、個人的におもしろいと思うのは記述量が多くなった日を後から分析することだ。一つのおもしろい事例として、「評価」が関わってくる。自分にとってうまくいったとか、もっとこうすればよかったとか、評価付けをしようとする際に自然と言葉が多くなる。「他者との交流」もキーワードで、誰かから学んだことを記録してあることも多い。そこには自分のパフォーマンスと照らし合わせて、他者のパフォーマンスを見る目が生まれている。

 これは生徒の記録でも同じようなパターンが見られる。特に、他者から学ぶ傾向が強い生徒は、記録にもそのような表現が目立つ。

 今はまだうまく言えないが、教室での学びと記録の表現と、どのように関係づけられるのか考えたいと思う。