放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

ざっくりと1年間の学習記録を読んでみた。

引き続き、これまでの調査結果をまとめた中間発表の資料を作成した。

と同時に、新たな調査も進めていく。先週末にデータ化した抽出生徒の1年間の記録である(計画では3年間分見る予定が、資料が見つからなかったりして後回しになりつつある…)。

これまでに記述内容の枠組みを作ってみたおかげで、どんな授業でどんな内容が書かれているのか分類することができる。

keynote.hatenablog.jp

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具体的に表現することができるか。

記述内容を見る限り、これまでの枠組みと齟齬を感じるものは見当たらなかった。一方で気になってくるのは、具体的記述がなされているかどうかである。

私の授業では、「~した」「~わかった」といった記録が多く見られるのだが、やはりこれだけでは具体的にどのような学習過程で、どんなことが新しく知ったことなのかわからない。この辺り、もう少しフィードバックできたらよかったなぁ、自分の授業で意識できたらよかったなぁ、と思うのだが、実際に、何人かの生徒の記録には取り立てて指導はしていないものの、具体的に表現する傾向の記録がある。

どのような具体的表現が記録に見られるかというと、

・テストなど評価場面での自分の行動パターン

・今後の学習で意識していきたいこと

・創作物などの価値

・学習過程のモニタリング

・発表場面の自己評価

・文学的文章を読んだ後の作品の分析 など

で見られた。これは抽出生徒の一例なので、なんとも言えないのだが、自分に矢印が向いている記述が多い気がする。

授業後に感想を書くだけでは振り返りにならない。

もう一つは、振り返りの機能である。私は毎時間の授業で必ず学びを実感するとは思っていない。導入期はこれからどんな目的で、どんな活動をするのか見通しを持つために、説明を聞くだけの授業となることもある。ただ、単元の終末にはどんなことが学びとして得られたのか言語化することが大切だと思っている。

その点で言うと、自分の授業ではゴールイメージが曖昧で、毎時間の授業が知識伝達に重きが置かれ、単元を通してつけたい力が授業づくりに活きていない。テストに追われていたりして、なかなか学びを振り返る時間を持てていないのかも…と思う。毎時間の記録を書くことだけが振り返りではないのだなぁと改めて思う。

 

なんにしても、一人の生徒をざっくりと読んだだけなのでまとまったことは言えないが、学習者の年間を通した記録は、遠く離れてしまった過去の授業と向きあわせてくれる。自分の思考の癖を見直して、リセットするために必要な作業だなとつくづく思う。