放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

論理の文章なんだ。

修士論文提出締め切りまであと1カ月になりました。進捗は相変わらず鈍速で…まだまだ突破口が見えない不安がありながらも、理想100%で最初から最後まで書けない現実を受け止めながら進みます。いや、60点も取れていない気もします…。自己評価はいつもあてにならない。だから、誰かのフィードバッグが必要なんだ。

 

論文の指導を受けながら、はっと目を見開く瞬間が度々あります。最近は、「論理」という言葉が学びの言葉。あるゼミで、卒論の内容について発表した学部四年生に対して、ある先生が「論理が何よりも大切です」とおっしゃっていました。そうか、題材とか、問題意識とか、先行研究へのリスペクトとかよりも先に、論理なんだ、と思って少し驚いたのを覚えています。そしていざ自分の修士論文になってみても、やはり大学の先生方が何よりも大事にしているのが章構成でした。いかに論文全体がひとつの筋に沿って作られているかが問題なのです。学生は文章が書けないこと、読めないことに苦しむわけですが、面談ではそんなことは問題とされません。まあ、限られた時間の中で教えられることが限られているし、また、修士課程の学生なのだから、そんなことは自分で学んでよ、ということなのかもしれませんが、学生と指導者の間にある問題意識にはギャップがあるのは確かなようです。

 

さて、論理が1番に重要視される教育観の中で、学生は何を学び取っているのでしょうか。研究は常に疑いの目を持ち、絶えず更新されるべきだということなのかな。この辺、実感ベースの思考の癖を持つ私にはハードルで、論理を重視した文章を書きながら、本来はザラザラした感触がヤスリでつるつるに均された感覚が拭えない。その感覚に気づいた瞬間、急におもしろくなくなる場面が多々あります。うーん、研究って楽しいものだったんじゃないかな。どうしてこうなっちゃうんだろう……こうして迷走の時間に突入するのでした。

まあ、今はいいから書けって状況ですが、でも楽しくないと続けられないのですよね。