単元を終える度に「もうちょっとどうにかできなかったのかな」と思う。
単元を考えている間は,この学習がどのように進むのかワクワクして考えることができる。
いざ授業が始まってみると,自分の独りよがりな考えに気づかされたり,
学習者の困難に直面したりしてうまく回らなくなることが出てくる。
立ち止まって,何を大事にすべきか判断すべきなのだけれど,
自分の判断に自信が持てずに結果として何も判断できないこともある。
まとめまでを構成できないこともある。
学びってなんだろうと,そもそもの議論に立ち戻ることもある。
逡巡して,いつも教室に取り残されている。
「主体的」という言葉があるけれど,学ぶことはそもそも主体的な行為だったはず。
自分が知りたいと思ったり,面白そうだと興味を持ったりして動いていく。
それが,学校での学び,教室での学びとなっていく過程で,
形を変え,姿を変え,本来の魅力的な学びの時間が見えなくなっていく。
自分の外側には面白そうなことがたくさん転がっていて,
学びたいと思う尊敬すべき人もたくさんいる。
教師ができることは,膨大な学びの可能性の中から
いくつかを見せたり,譲り渡したり,体験する場を創造したりすること。
だから,成績のために勉強するとか,先生が見ているからやるとか,
そういう学びじゃないんだよなぁ,と思う。