放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

授業で何を記録すべきか

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 生徒の授業アンケートの記述に、よく「板書をもう少ししっかり書いてほしい」という意見をもらう。学習者にとっては記録として授業が残っていないと不安だ。学校はテストもあって、学習したことに○とか✖️とかを付けられるのも事実である。だから、自分としてはもう十分解説したし、これで授業を終わってもいいなと思うけれど、一応、「教科書にも書いてあるから書きたい人だけどうぞ」と断って、板書しておくこともある。

 でも、この板書を記録するためのノートって、機械でもできる。もうすぐ一人一台になるだろう機器が揃えば、写真で十分でもある。多少、きれいに丁寧に自分のためにまとめたノートは愛着もわき、学習意欲につながる作業でもあるが、板書を記録しているだけの作業はあんまり考えなくてもできる作業でもある。もっと授業で受け取った知識や言葉を、自分の文脈で日常生活やこれまでの知識と結びつけて捉え直す思考が大切なのではないか。そんな思考を大切にした記録を書くことは、自分の感情と向き合うことにもなって、ワクワクした瞬間を切り取るような記録になっていくのではないか。

 同じ友達同士で過ごしても、インスタに残る写真は違うように、一人一人の心に刺さる瞬間はバラバラである。板書を一生懸命にして、生徒一人ひとりに残るものを均一にしても、その残ったものは生徒にとって生涯大切にされるべき内容になるだろうか。教員にとって価値のあるものとそうでないものの選別以上に、学習者にとっての生活の文脈の中で、その瞬間瞬間で獲得される価値あるものを記録することを、私たちはもっと重視すべきではないだろうか。