放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

助詞の違いで話し合う

冬休み明けの2年生の授業は論説文「モアイは語る−地球の未来−」を教材にした授業で始まる。筆者は安田喜憲さん。

今回は,付属語の学習も兼ねて,題名の”は”に着目した授業を行なった。現行教科書が採択された年に「研究集団ことのは」が行なった研究会での提案を追試した授業である。

 

最初に簡単な助詞の働きの説明をして,後半は”は”の部分を別な助詞に変えて意味の違いを考える学習活動を行なった。

個人思考の後,数名で意見を交流する。やってみると,助詞の意味を説明するためには比喩を用いたり別の例文を示したりする必要が出てくることがわかった。

例えば,「モアイと語る」のパターンを説明するときに「これは○○って番組みたいにさぁ〜」と説明している生徒,「モアイで語る」のパターンを説明するときに「モアイのパペットを使ってこう話すんだよ」と説明している生徒,それに対して「え,そんな風に読んだの,これは”モアイがある場所で”ってことでしょ」と驚いている生徒,それぞれが助詞の働きについて言語感覚を働かせて話し合う。

山場は「モアイが語る」と「モアイは語る」の違いだ。「違うっていうのはわかるんだけど,どう説明していいのかわかりません〜」。ここまでは順調に意見をまとめていた班もなかなか難しい課題のようだ。

さて,どんな解説が生まれるかな。

学習は修行ですか?

「あっちこっち」アンケート

学校が再開した。

初日の授業は,大晦日をどう過ごしたか(最近は紅白を見たか見ていないかの調査が定番)で「あっちこっち」アンケートをとりながら,互いの近況報告をするような緩やかな1時間目を心掛けている。

「あっちこっち」は獲得型教育研究会の定番アクティビティだ。挙手制なので,コロナ禍でも安心して交流ができる。

参加型アクティビティ入門

参加型アクティビティ入門

 
学びへのウォーミングアップ70の技法

学びへのウォーミングアップ70の技法

  • 発売日: 2011/08/01
  • メディア: 単行本
 

 まだ片足は冬休み

もう何年も前から,初日からフル活動するのはやめようと心に決めている。

生活リズムが変わって,朝起きるだけでも大変な思いをしている生徒がいるかもしれない。

自覚はないけれど,6時間机に座っているだけで疲れているかもしれない。

休み中の人間関係のトラブルで,誰にも会いたくなかった生徒もいるかもしれない。

実際に「学校が始まらないでほしかった」という声も多く聞こえてきた。

残念なことに,授業がつまらない,授業がしんどい生徒は多くいる。

自分の可能性を信じられる学校でありたい

私が思う学校の一番の課題は,学力をつける以前に,授業が楽しいと思って,学校に来たいと思えるかどうかなんだと思っている。授業が楽しいと思うためには,教師の授業技術だけに限らず,生徒同士のつながり作りなど,安心して過ごせるということも含まれる。

もちろん,イヤだなと思うこと,大変だなと思うことから簡単に逃げ出さず,必要なことに対して耐える力も社会で生きていくには大切だと思うけれど,嫌々続ける活動が長く続くことはないだろう。長期的な価値を伝えることは教師の大切な仕事の一つだと思うし,そうすることで見通しを持って行動し続けられる生徒もいる。

しかし,中学生の日常は刹那的だ。好きなものもすぐに変わるし,自分がしたいこともはっきりわからない。経験したこともない未来に対して,確かな思いを抱くことはできない。混沌とする感情の中で,周りからの様々な要求に振り回されながら,それでもタフに頑張り続けられる人は一握りだ。

だから,せめて今,この1時間の授業が「楽しかったー」と言えるような毎日を過ごしてほしいと願う。学ぶことが本当に楽しくて,学校を離れても学びたいと思うことができたら,学校は素晴らしい場所になると思う。

知的好奇心に従って自分の知りたいことを知ることができたり,これまで知らなかった世界を開いたりしながら,自分の可能性を深く信じることができるようになる。

そんな学校や授業づくりがしたいと思う初日だった。

須田実編(2005)「読む力・考える力を育てるノート指導」

引き続き,国語科ノート指導に関する書籍を読み続けている。

ここにきて,2000年代のノート指導本に入ってきた。

この一連の調査の目的は,ノート指導の歴史的文脈を探すことにあるのだけれど,手にする本が実践提案の本が多いこともあって,私の求めている研究書ではないのは残念である。それゆえに,それぞれの実践の系譜を整理することは自分の仕事なのかもしれないと腹を括ってきた。

 

今回は,須田実氏の編著ということで「国語力の向上」に関するノート指導について書かれている。

 

(略)自ら学ぶための「ノート指導」を重視し,子どもが学習目標としての単元(題材)を読んで,「知りたい」「分かりたい」「伝えたい」などの思いや考えをノートに書き,そして書いたことについてさらに深めたり,広げたり,調べたり,表現したりする学習により,子どもの国語力の向上を図ることを意図するものである。(p.3 まえがきより)

 

また,シリーズ本として低学年・中学年・高学年と分かれているように,系統性の重視が明確に打ち出されているのもこの本の特徴である。

その具体的方針は細分化されており,「ノート指導の基本的な事項としての十観点」(p.20)をまとめ上げ,かなり具体的である。

 

この辺りの体系化は『第3の書く』とも重なる内容もあり,ここでは詳しく触れないが,共通点と相違点を照らし合わせてみるとかなり面白い。

また,大村はまの学習記録の指導過程と照らし合わせてみても違いが出てくるだろう。

次の研究課題としたい。

新潟県立歴史博物館編「あ,コレ知ってる! はにわ どぐう かえんどきの昭和平成」

縄文ブーム再来中なので,縄文時代に関する書籍を読み漁っている。

その中で,面白くて一気読みした1冊を紹介したい。 

あっ、コレ知ってる!はにわ どぐう かえんどきの昭和平成

あっ、コレ知ってる!はにわ どぐう かえんどきの昭和平成

 

この本では「歴史」のストーリーとして,埴輪・土偶火焔土器にまつわるエピソードが説明されている。岡村太郎の縄文発見とか、オリンピックや国体との関連など、縄文文化にまつわる知られざるエピソードが詰まっている。考古物の写真や発見当時の新聞記事の画像が盛り込まれる構成も面白い。

縄文時代に関する本を読んでいると,考古学の専門的な用語が並ぶ無機質なものと,美術的価値に比重を置いた縄文愛重タイプの書籍が多い。元々縄文文化に興味がある人はどれも面白いと思うのだけれど,正直興味のない人にとっては過剰な表現も多く,最後までついていけないなあと思う本もある。

その中で,この本は歴史博物館特別展の図録を兼ねていることもあり,昭和から平成にかけて縄文文化遺産が人々にどのように受け入れられていったのかがストーリーとして読むことができる。キュレーションが優れていると言えばいいのだろうか,オリンピックというタイムリーな話題と縄文文化との関連についても興味深いし,マンガの中で描かれる縄文文化など,日本人が縄文文化をどのように受容してきたのかを知ることができる。

 

個人的には,縄文遺跡の発掘が大規模な開発事業とセットで展開することを思い出したことも衝撃として大きい。私の知る限り,土を掘り起こす作業のきっかけは,そこにある自然を一度解体することと併せて起こる。住民の畑作業で発見された中空土偶などは稀で,発掘調査が終わるとそこには市民にとって便利なバイパス道路が建設されるなど,縄文文化の発見はその土地の変化と共にある。 

歴史文化遺産としての縄文文化は地域振興と併せてこれからも多くの人によって発信されていくだろうが,その受け止め方は一様であってはならないと思う。

授業への思い入れ

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縄文文化交流センターに初めて行った。

私が生まれ育った町は,縄文遺跡群が多く出土する地域だった。小学生のときから縄文土器を作ったり,竪穴式住居に実際に入って縄文人の生活を想像したりする学習をよく体験した。

町を離れて生活するようになってからの私は無知で,縄文文化交流センターが新しくできてからも足を運ぶことはなかったけれど,今回改めて学び直して知らないことがたくさんあった。

この地にかつての文化を形作った人たちがいたこと,またその価値を認め,大切に保存してきた人たちがいることを知るたびに感慨深かった。自分のアイデンティティの一部としてそういう土地で生まれ育ったことに対して,記憶として残るような学習活動が自分の中に残っているのを感じる瞬間が多かった。

思えば,大学の進路選択のときに,自分にしかないことを考えたとき(特に私は大学2年まで日本史専攻だったので),自分の郷土の歴史についてまとめてみるのもいいかもしれないと考えていたのだった。

思いがけず,また縄文文化に触れる機会を得て,この学習は自分にとってとても思い入れの深い学習内容になる予感がしている。

岩浅農也・横須賀薫編(1984)『ノート指導と板書』

学習記録のあり方は,授業者の問題意識や信念によって決まる

引き続き,これまでの国語科ノート指導の歴史を追うために,次の本を読んでいる。

子どもが見える授業技術入門 (4)
 

この本は「ノート指導と板書」をテーマとして,「子どもが見える授業技術入門」シリーズの第4巻目に位置づけられている。特徴として2つのポイントがある。

1つは,次代の教師への伝達である。読者として想定されているのは当時の若い教師であり,既に教育の質の低下が問題意識として挙げられている。岩浅氏の著書には,他にも若手教師に向けた授業技術伝達を目的としてた著書がいくつもある。

もう1つは,「子どもが見える」というところにある。「授業で子どもが見える」とはどういうことなのか,どうしたらそれは可能なのかという問題意識に対して,「ノート指導と板書」という切り口で国語科に限らず,数名の実践例が載せられている。

これまでに,いくつかのノート指導に関する書籍を読んできたが,一口にノート指導と言っても,その志向する姿はそれぞれに異なっている。例えば齊藤喜門であれば「ひとり学びを育てる」ことが目的であり,白井勇であれば「思考力を伸ばす」こととなる。

授業のあり方が学習記録を規定することは自明のことであるが,授業者の学習記録に対する目的の違いも,当時の問題意識や著者の信念によって異なるのである。

 

 固定化される板書が書き写すノートを生み出した?

本書も,ノート指導と板書のしかたを合わせて実践が述べられていく。

既に紹介した石田「発問・板書・ノート」においても,板書の機能とノートが教師の認識としてセットで考えられていることは同じである。

keynote.hatenablog.jp

特に,横須賀薫は,1980年代には指導案に「板書」に関する記述が増え始めることを指摘しており,その固定化された板書の問題と,「書き写すノート」のあり方への警鐘を述べる。

指導案をざっと眺めているうちに一つ気がついたことは,最近のものにはたいてい最後に「板書計画」とか「板書予定」という項目が立てられ,記入されていることである。(p.32)

問題は実際の授業があまりにも「板書計画」に支配されてしまうことであろう(p.34)

   また,横須賀は板書の固定化のはじまりとして芦田恵之助の“七変化教式”を挙げ,「その板書の形式はそのまま信奉者の間で模倣され,後には一つの形式として固定化されるようになってしまった」(p.39)とも指摘する。

 

 「組織学習」におけるノート指導で子どもが見える?

横須賀はこのような固定化された板書とそれを書き写すだけのノート指導に対して,「組織学習」と呼ばれる授業形態におけるノート指導のあり方を提案した。

板書やノート指導の工夫が本当に必要とされ,それが生きるのは,子どもたちの学習を組織化しようと試みる時である(p.40)

「組織学習」とは,①個別学習②組織学習③一斉学習④整理学習という手順で進められる学習である。その詳細については斎藤喜博『授業の展開』を参照してほしい。

斎藤喜博 授業の展開 (人と教育双書)

斎藤喜博 授業の展開 (人と教育双書)

  • 作者:斎藤 喜博
  • 発売日: 2006/12/01
  • メディア: 単行本
 

 横須賀は,『国語教育辞典』(朝倉書店)のノートの使い方の2側面(教師の指導事項を記載する場合と,学習者の自己研究を記録する場合)を参照し,「組織学習」におけるノート指導は「学習者の自己研究の記録としての機能がある」こと,またその重要性を述べている。

 

ノート指導における教師の役割とは?

もう一つ,横須賀の提案の中で,注目すべきは,ノート指導における教師の役割について述べられていることだ。

子どもがノートに記したものについて軽重をつけ,追求すべき問題とこの段階ですましてしまう問題とにふわけしていくのが教師の指導として重要になる。さらに,子どもと子どもを結びつけ,交流させていくのも重要な指導である。ノート指導はこのように,形式的なものではなく,内容的なものである。(p.48)

大村はまの「学習記録」実践を見ていても思うところだが,子どもが書いたものをどのように読み,どのように価値づけをしていくかということは,教師としての力量が問われる場面である。

また,ノート指導だけでなく,上條晴夫氏の「見たこと作文」など,子どもたちが書いたものを共有する実践においても,子どもの書いたものをどのように取り上げるかは経験的に簡単なものではないと感じている。これまでの学習で培われた力や,学習者一人一人の実態,授業における文脈など,総合的に判断されてその場の教師が決めることであり,一般的な授業技術としてまとめられるものではない。

探究型の授業を志向し,その中でノートを活用していこうと考える教師は,必ずと言っていいほど,個別の学習者の記録をどのように扱うか,授業の収束としてどういう方向性を示すかは迷うところなのではないだろうか。

 

学習者による探究的なノートを目指すとき,教師としての役割が十分にはたされているのかどうか,この課題を提示していることにこの本の大きな価値があると考える。

学習のあり方そのものが問われている。

学習記録研究の中で,国語科のノート指導に関する読書を続けている。

現在読んでいるのは,白井勇著『思考力を伸ばす国語科ノート指導』。

「愛着の持てるノート」というのがキーワードとして挙げられる。

学習記録というのは,板書や練習のような一度きりの筆記作業だけではなく,その時々の自分の思考の過程が残されて,記録とともに過去を現在に何度も引き戻しながら進んでいくものだ。そのようなノートは自分の学習そのものとして,簡単に捨てることはできない。

書くことで考え,書いたことを読むことでまた考え,何度も過去の学習に立ち戻りながら新たな地平に自分を立たせる。

記録を活用して学習していく学習のあり方そのものが問われている。