放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

書くことで足りないものを知る。

9月も残すところあと10日間になった。

教員になってから、この時期は学校祭期間で忙殺されて、

「あっという間に10月」という感覚が9月にはある。

今年は学校祭準備とは遠いところに自分がいるけれど、

正直そんなに調子よく回っている9月とは言えない気がする。

不調と判断する理由は、書くことが継続できていないことにある。

 

大学院は8月中旬から9月いっぱい、集中講義以外の授業が行われない。

それで、大村はま文庫に行ったり、合宿や上海視察などをすることができた。その点では充実していたと思うし、今後の自分の見方を大きく広げられたと思っている。

ただし、これらの事が日常から少し離れることになり、自分の軸足が地についていない状態になった。つまり、日々書くという習慣を手放すことになった。

 

書く習慣から遠ざかった要因は、2つあると思っている。

1つは、授業がなく、外に出る機会が多くなったことで、生活習慣が一定にならないことだ。疲れも出やすくなるので、腰をおいて書くことができなくなっていた。

2つ目は、目的を失いつつあることだ。何を書くか、どのように書くかが正直よくわからなくなった。それは、書く目的に迷いがあるからなのだと思う。実はこっちの理由の方が重要で、きっと目的が自分の中ではっきりしていれば、ある程度の状況や場においても書き続けられるのではないかな、と思っている(たぶん)。

 

そもそもわたしが大学院に来たのは、本を読む時間を確保することと、書くことで自分の自己認識を深めることにあったと思う。

 keynote.hatenablog.jp

 読むことも書くことも、学校現場においては少なくなってしまう。もちろん、現場にいながら多量の読書量を持ち、多くの発信を続けている人もたくさん知っている。けれども、わたしのような凡人教師は、生徒や保護者、職員室でのあれこれと距離感を適度に保って自分の時間を作り出すことが簡単ではなかった、と思っている。

 

だから本当は読むことと書くことに重きをおいた生活をベースにしきたいと思っていたはずなのだ。

それが、自分の思っていた以上に詰め込んだスケジュールになってしまったのは…「自由な時間」に対する期待感の表れなのかもしれない。

 

今日はかなり反省的に自分の生活について書いた。

修正には少し時間がかかりそうだ(もうすでにいろいろな予定を詰め込んでいるから)けれども、日が短くなっていくのと同じように、ゆるやかに習慣の変化を促していけるといいな…と思う。