放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

「線を引いているところがちがった」

仕事始めは学習記録の整理から始まった。

 

B5判の原版は実は読みづらく、破損も多い。それでA4のコピーを取って読み直している。今日の分析は1人。2年生の1年間の記録を読み直した。

同じ1時間でも一人ひとり感じること・表現することは違うのであり、そのことに生徒自身も気づいていく。

今日の一番印象的な記述は「線を引いているところがちがった」だった。違うからこそ他者と学ぶ価値がある。そういうことを、私は自分の言葉では伝えてこなかったような気がするが、このノートには他者から学んでいる過程が記述として残されている。

 

それにしても、やはり1年間の授業の密度が全然違う、と思う。1年間の記録をこのようにして総ざらいすると、時間の使い方が私の理想とする姿とはかけ離れているよな、と思う。私はもっと重層的な授業展開をしたいと願っている。前に学習したことが、次の授業にも生かされ、その次の時間には前の前の授業も生かされていく、単発的ではない授業の形態はどうしたら生まれるのか、と思っている。ただし、何かをしようと思えば、その分削らなければならないことが増える。そして、自分の力量以上のことはできない。

もちろん学習者の姿あっての授業であり、それを抜きにして毎時間の授業は生まれないのだけれど、基本システムとかルーティーンとか、もっと変えられるものはあるのかもしれない。いや、今このくらいのペースがいろいろやれているのかもしれない。

 

今日も歯切れが悪く、どうしたものかな、と思いながら研究日誌を閉じる。