放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

授業記録と教師の言動

毎時間の授業記録の実践を読んでいくと、その記録を筆者自身のリフレクションとして重視される場合と、授業者の授業分析の視点に重点がおかれている場合が見られる。どちらの視点もそれぞれに重要だと思うが、教師が生徒の記録を読む行為においては後者が重視されるように思う。

では、実際に教師が生徒の授業記録を読む時にどのような視点で読んでいくことが大切なのであろうか。生徒の記述には教師との人間関係を考慮する前提が含まれるのであり、教師への気遣いがある生徒ならば余計に否定的なことは書かないだろう。

一方で、この記録が授業をよくするためのものであるとしたら、生徒の否定的な記述も改善を促すものとして歓迎される。「先生も完璧な授業をできるわけではないです。みなさんとよりよい授業をしていきたいと思っているので、もっとこうなったらいいなと思うことを書いてくれると嬉しいです」このような発言を言うのと言わないのとでは、書かれる内容も変わってくるだろう。

何をどのように書くか、教師の発言一つで集団の意識は大きく変わる。生徒の記述分析において、教師の言動がどのようなものであるかを考慮することは大事な視点である。