放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

「わかった」と「がんばります」

生徒の授業の記録でよく見られる記述が「わかった」と「がんばります」である。

 

授業で学んだことを書くのだが、結構安易に「わかった」を書くことが多い。授業内容と「わかった」を機械的にくっつけると、その日の授業記録が完成する。書かされる記録であるうちは、このパターンが多い。しかし、やっつけ仕事の「わかった」は本当のところ、残念ながら何もわかっていない記述である。

もう一つ多いのは「がんばります」である。授業記録の締めの決まり文句である。とりあえず「がんばります」と書いておくと前向きな姿勢を示すことができる。教師の目が意識されていると良くも悪くも記述内容に影響を及ぼす。

 

問題は、具体と抽象の往還の思考過程があるか、ということだ。「わかった」や「がんばります」という記述を撲滅したいわけではない。 学びの瞬間を具体的に記述することができるか、その先に具体的な自分に対する問いが向けられているか。それらを記述しながら「わかった」「がんばります」という言葉に集約していいのか。

振り返りの記述を読む時に考えてしまうテーマである。