放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

どうして単発的な創造になってしまうのか。

単元ごとの記録を分析していたが、やはり年間を通した記述を追わなければ意味がないなぁという思いにかられて、3連休は決意して、抽出生徒の記述をデータ化する。

記録の記述だけではなく、授業内容、課題、メモ、ワークシートの内容など、情報は多くなる一方で、とても労力がかかる。でも、自分の持っている資料の強みだし、やるしかないと言い聞かせながらやる。

 

データを打ち込んでみると、やはり授業が1時間で完結している感じが課題に思えてくる。私の中に、1時間で新しい知識を教えることに意識が向いている。1時間では身に付かない思考力や表現力に対して、授業で十分に扱えていないなぁと思う。初任のころよりは、学習者の姿が見えるようになったし、「こういうことがあったから、こうしてみよう」とか授業を柔軟に展開できるようになったと思うけれど、それでも授業を構想する段階で核となっているのは「教科書教材で何をしようか」ということなんだと思う。

 

この問題意識は前々からあったはずなのに、記録を見ていると3年間変わっていないように思える。どうしてなのだろう。一つ思うのは、授業前の思考が重要なのだということと、その思考の時間と問いの量をどのくらい持てるかということだ。