記録を書くことと考えることはどういう関係にあるのだろうか。授業の記録を書いている時に、学習者は何を考え、どのような気づきを得るのだろうか。書いている時の思考過程が気になって以下の本を手にする。
この本を読みながら、自分がブログを書くようになってから「実感」することを思い出す。その日の出来事や発見を一つのトピックとしてまとめて投稿する。その際に、最初に書こうと思っていた話題と話がズレていくことが多い。タイトルを先につけて書き始めたのに、いざ書いた文章を読むと、全然違う話題になっている。やはり書いていて気づくことはたくさんある。自分がこだわっていたり気にしていることは何度も繰り返され、具体的な事例や感情が含まれて書かれていく。書いている途中で、結局そうは言えないなと気がついたり、何が言いたいのかわからなくなったりもする。書くことで考えるというのは、そうなんだろうなと思う。
しかし、本当に書くことは認識を深めるのだろうか。この本では心理学のさまざまな研究を紹介しながら、実際の作文の推敲過程を追跡している。
そうかぁ、と思ったのは、「書く以前はみえなかったことが因果的に関係づけられてみえるようになったということに伴う主観的体験」という表現。
学習をしながら、まだ気づいていないこと、具体的表現がみつからないことが、ことばにすることによって安定し、自覚化される。体験や活動を通して、何か学びを見つけようとする中で、ことばにする機会が新たな見方や考え方を生成する、ということなのか。