放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

ぐるっと家をのぞいてみよう。

文章は一方向に読みがちだけど,本当は立体的なんだな。ぐるっと家をのぞいてみるように,いろんな読み方があるんだな。

絵本読み聞かせや紙芝居は最初から読む。1方向のストーリーを読む。冒頭から結末に向けて読むことが,暗黙のうちに沁みついている。いろんな読み方があると知って,一方向の読み方だけに固執しない読みを選択する。それでも,多くの人は最初から最後まで読むってことが当たり前なんじゃないかな(「お話の読み方」っていう授業,やってみたい)。

だけど,書いている人は最初のページから書き始めたとは限らない。実際に書いてみるとわかるけど,試行錯誤の過程で順番は入れ替わり,付け加えられ,削られていく。それが創作のプロセスで,読者は作品を手渡された時にその過程を想像できるかどうかで読みの深さは変わってくるのか?と思う(もちろんそれだけではないけれど)。

こう考えてくると,学びの単線形にも違和感を持つ。先生のお話を「おぉー」「ほうほう」「なるほど」と聞いてなんとなく納得する形をとる。でも,そこにはそぎ落とされていることもいっぱいあるし,今日の話ではくくれない例外も世の中にはいっぱいある。確かに時間は一定方向に流れていくものなのだけれど,学ぶってことは当たり前を疑うってことで,一般化されたものの外側にあることも含めてどうなんだろう?と検討してみることなんじゃないかと私は思う。何度立ち止まって脱線しても,ふりだしに戻っても,先にゴールはどうなっているのか試してみても,ゴール位置を「やっぱりここにしよ」って変えてみても,いいじゃないか。