放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

過刺激にならないこと―4月の振り返り

2年ぶりの国語の授業がスタートして1か月。

と言っても,標準学力検査や全国学テ,修学旅行があったりして,実際の授業は5~6時間程度だった。授業開き・オリエンテーションからはじまり,「春に」の単元を4つのコース別活動で展開して連休に突入した。

最初は個人の活動を解放する部分が大きくて落ち着かなくなる場面も多かったが,活動の趣旨を共有すること,個別の活動とグループの活動の調整をすることを大切にしながら進める形となった。言語活動の選択自体を生徒に委ねる単元だったけれど,上手くいっている部分と課題となる部分,自分でもまだ見えない部分がある。試行錯誤は続く。

しかし,改めて学校という場に戻ってくると,今までの当たり前が変わってしまうことに対して,人がどれほどの抵抗を感じるのか目の当たりにする。今回の単元はかなりチャレンジングで刺激的で,ともすれば信頼を失いかねない危うい場面もある。教師が「正しい」と考えることと,その可能性を生徒も信じられることは別のことなのである。生徒の文脈に寄り添いながら進められることが何より大切で,その意味で,自分の見方を修正する必要があるのだと感じる場面もあった。

それでも,学習記録と「持ち寄る」性質の単元学習の発見には救われる部分もたくさんあって,大学院進学前の自分の授業と大きく変わっている部分であることは,自分自身が強く意識していることである。