放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

「コロナ禍」という言葉が日常を形作る中で—10月の振り返り

本来であれば,文化祭から始まる,10月。

今年は春に行われる予定だった運動会と宿泊学習が10月になり,

学年としての初めて行事が一挙に訪れる1ヶ月だった。

 

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とはいえ,自粛ムード抜け切れぬ学校現場である。

生徒の作文にも定着するくらい「コロナ禍」という言葉は私たちの生活に染みついている。

4月の緊急事態宣言時に比べれば私たちの慣れが生活の緩みをもたらしていることは確かだが,緩みを実感するほどに,同時に危機感もいつもそばにある状況だ。

 

コロナ禍における旅行的行事の意味とは?

宿泊学習は,日ごろ見せない子どもたちの一面を知ることができた2日間だった。

学年経営として,子どもたち自身の力を信頼できる学年だと感じることもできた。

もちろん,コロナと付き合いながらの制限の多い中での宿泊学習だったが,

自分たちだけでなく,飲食店経営の方達,ホテルの方達,バス会社の方達,

みんなが安心・安全に毎日を送るためにどうしたらいいのかを考えて共に過ごしていることを感じられる2日間だった。

子どもたちの本音のところはわからないけれど,

私の見える範囲では,概ね楽しく過ごして帰ってこられたのではないかと思う。

恒例の旅行記もNo,25まで発行し,私自身が学級の子たちとの時間を共有し,

様々な一面を知ることができたのは宿泊学習があったからだと思う。

ユーモラスに2日間の時間を捉えることができたのもよかった。

宿泊学習前後で関わり方が更新された子がたくさんいる。

もちろん,現在の感染者数増加傾向の中で,本当に実施内容が妥当であったのか,

参加を辞退した子どもたちの学びの保障はできているのか,考えるべきことは多い。

全てがハッピーに終わったわけではなく,実施の過程における緊張感と不安は常に横たわっており,私たちの思考と判断が問われる行事でもあった。

それは今後も続いていく。

 

生徒会活動のタスク処理的活動からどう抜け出せるか?

私個人にとっては,この10月からいよいよ生徒会活動をメインで取り仕切ることが始まる,緊張感ある1ヶ月だった。久しぶりに学校全体を動かす仕事にワクワクもした。

「この学校で,生徒会活動はどうあるべきか」という問いにも向き合う。

しかし一方で,次々と準備をするタスクが増えるので,タスク処理的に毎日が進んでいく感覚もあった。

日報に連絡事項を書き込んだり,スポンサーの先生や委員長を動かすための資料を作成したり,直近の会議に向けてすることに追われる仕事の仕方になった。

その過程では,それぞれの活動の目的や価値を見失いがちで,気付くとトップダウンの仕事依頼や,生徒にとって「やらされ感」の生徒会活動になってしまう危機感がある。

今はひとまず,生徒総会の議案を通すことまでがミッションなので,その目標を無事達成できるように支援することで精一杯だが,活動のゆとりができたところで,生徒会役員とマインドの共有をする場面を作っていきたいなと思う。

そこでは,やっぱり楽しくなければ活動は続けていけないことを忘れないでいたい。「自分たちがどうしたいのか」「自分たちが充実して活動できる生徒会活動とはどんな形なのか」子どもたちと問いを共有しながら毎日の生活を少しずつより良いものにしていきたい。

 

また,立場が変わると,先生たちとの関わり方も変わるわけで,子どもたちとの関わり以上に職員室での関わり問題もこの1ヶ月で私の問題意識に浮上してきた。

この半年間見えなかったそれぞれの先生の感情やストーリーを知る場面も多くなった。

職員室での今後クリアしていかなければならない課題も見つかって,まだまだやれることはたくさんありそうだなと思う。

クリエイティブに仕事をしていきたい。

 

新たな問いを創造する授業にするため必要な仕掛けは?

授業では,博士ノートの実践を終えた。

最も大きな気づきは「学びとは,新たな問いに出会うことだ」ということ。

具体的に今回の失敗点を挙げると,選択コースが多すぎたことだ。

最初はスタンプラリー形式で,サクサク子どもたちが取り組んでいくので,

一見意欲的でいい感じに見られた。

しかし,提出される課題を見ると,質としては問いにガッチリ向き合って記述しているものが少なく感じられた。

後半の方になればなるほど学びが深まっていくのが理想的だと思うが,,

同じ階層をぐるぐると自分の今ある力だけで「こなす」活動になっているように見えた。

これは選択コースが多すぎて,目移りしてしまい,終えることが目的となってしまっているからだろうというのが自分の分析だ。

最初はスタンプラリーでも,その中で問いに気づくようなタイミングが訪れるだろうと踏んでいたのだが(もちろんそういう生徒もいるけれど),半分くらいは,今自分が表現できる範囲で表現しているといった感じで,一歩先の思考に突入するような感じがあまりなかったのは,仕組みとして失敗している証拠だと思う。

特に,生徒自身から新たな問いが浮かび上がってこなかったのが,最も課題となることだったと思う。

次回への改善点が浮かび上がる。