放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

日常の課題発見能力が生徒会活動の質にも影響を与える。

「建設的な意見」を学ぶ場はあるか?

生徒総会の学級審議で挙がってきた質問・意見・要望を一覧化する仕事をした。

それぞれの内容をまとめながら,子どもたちの課題発見能力の課題を感じる。

学級によっては,無関心,無質問の状況が生まれるクラスがあるのはどの学校でも同じだろう。

私のクラスは,たまたま意欲的な生徒が多く,日々の生活から生じる問題意識に沿って複数の意見が出された。

また,課題意識に沿って代案を示すことも前提に話し合っているので,自己満足かもしれないが,素晴らしい学級審議を見たな,という気持ちでいる。

しかし,一覧化してみて,議案書をもっと良く読めばわかるのではないかという意見,文言の不備を指摘するだけの質問,課題だけを示して具体的な代案が示されない意見など,ともにより良い学校を作っていこうという姿勢よりは,提案者側の意欲を削ぐような単なる批判意見も多くて,生徒会担当としてはどうしたものだろうと思ってしまった。「建設的な意見」とはなんだろうか。生徒は,どこでそのような議論のあり方を学べばいいのか。

そもそも生徒総会の意義とは何か?

もう何年も前から,「生徒総会」は本当に必要なのか?という議論に出会うことがある。それは,前者のように各委員会からの提案に対して,一般生徒が特に自分たちの問題として切実に話し合わなければならないほどの,重要事項となっていない現状があるからだろう。

私の出身高校は,生徒会の活動により制服廃止をした経緯のある学校だった。もちろんその経緯はもう何十年も過去の話で,私が高校生だった時は,そのような大きな変革としての生徒会活動の印象はなかったが,OBとして教師をしている先生から誇らしげにその時の経緯を何度も聞かされてきた。

今,生徒会の持つ組織としての力に,自分たちの生活を良くしようと願いをかけるような活動ができているかというと,多くの現状はそうではないだろう。運営をする生徒会役員は,部活や習い事も多く,放課後の活動が制限される生徒がたくさんいる。学級活動の時間も年間授業計画の中で,柔軟に年度途中で計画を変更するには,なかなか全体の同意を得る事が難しい。毎年決まった活動をルーティンとして「こなす」生徒会活動になっていないだろうか。

そのような日常の中で,生徒総会が果たす役割とはなんだろう。

生徒総会を全校生徒で議論する場に位置付けるには?

学校の主体として活動する生徒が,自分たちの生活に目を向け,問題を解決するために自分たちで学校生活のシステムを少しずつ変えていける,その可能性や自信を感じる毎日になっているか問いたい。

それは,給食活動の諸ルールが自分たちの願いに合っているのかどうかとか,係活動のあり方がみんなの納得いく形になっているのかどうかとか,そんな些細なことから始まるのかもしれない。

お互いの意見や感情を理解しつつ,その上で最も良い解決策を自分たちで話し合って決めていける。そんな日常をどれだけ積み重ねていくことができるだろうか。ここに,「建設的な意見」を出し合える生徒会活動の土台があるのではないだろうか。