放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

「書くことの多角化」 —言語活動をどれだけ具体化できるか?

引き続き「第三の書く」を読んでいる。 

復刻版 第三の書く

復刻版 第三の書く

 

とにかく「視写」のイメージが強いこの本なのだが,改めて読むと,「書くこと」の全体像も示されていることに学びが多い。視写の意味や実際の実践方法を知るためには第3章までを読むといいだろう。

今回の読書で関心を持ったのは,第4章の「書くことの多角化」だ。

 

「書くこと」の授業を振り返る観点として読める!

学習過程で「書く」という行為には,どのようなバリエーションが考えられるのか,具体化された言語活動例が書かれている。

つまり,この章,子どもたちの日常の書くことの力がどの程度ついているのか,または,授業の中でどれだけの書く活動を取り入れられているのかをチェックする観点となる。

 

例えば,学習記録の実践との関連で言えば,授業後に感想や振り返りを書くので,「7寸感・寸評」が当てはまる。私の授業では思考ツールの活用やグラフィック・レコーディングなんかもよく行うので,「8図表・図好き・絵画化」も私の授業では比較的多く行われている活動と言えるだろう。

このように,授業の書くことに関する活動を見直す指標となる。

 

言語活動をどれだけ具体化できるか?

第4章を読みながら,大村はまの「学習記録」の実践を思い出していた。

学習記録を豊かに書き続けられる学習者に育つまでに,聞き書きができるとか,要点をまとめるとか,細かな指導のポイントがあるのを思い出した。

 

青木幹勇の実践においても,やはりその「書く」を細分化して体系化しているところに面白さがある。

教えることの過程で多くの問題は,具体と抽象の行き来をどれだけできるかにある。

一人一人の学習者には,単なる「書けない」という問題に対しても,よく注視したり,話を聞いたりしていくと,多種多様なハードルがある。そして,それだけ教え方にもバリエーションが必要だ。

 

自分が生まれた1986年に初版として提案されたこの本を読めば読むほど,身につまされるような思いになる。

襟を正して,もう一度書くことの全体像を見直すことで,今の自分の実践の課題が見えてくるのではないだろうか。

 

ただし,「視写」をすればいいとか,何か一つの技術だけを取り上げてぶつ切りに手渡しても仕方ない。

豊かにのびのびと鯉が泳ぐように,私たちが生きていく上でより豊かに書くことができる,

そんな書くことの教育をもう一度考えたい。

 

「書く」とは何か?

ぜひ,今から思いつくだけ挙げてみてほしい。

どれだけの具体的な活動を思い浮かべられるだろう?