放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

ここではないどこかの屋根を探している。

実家の2階の部屋からは,どの窓からも2階屋根が伸びている。

私は小学生のころ,窓から屋根に出ては空を眺めていた。

家での遊びといえば,レゴと,シルバニアファミリーと,屋根。

身軽だったあの頃は,窓から屋根に出ることも簡単で,ベランダをつたって家を1周するのが面白い遊びだった。

 

日光湿疹が出てしまう私は,夏の日中は麦わら帽子と長袖を欠かすことができず,外で遊ぶ方法を知らなかった。

真っ暗になってからしし座流星群を見に学校のグランウドに連れてってもらってからは,巡回

図書室(地域に図書館がないので,小学校にたまにやってくる本が詰まったワゴン車)から星座の本を借りて,屋根に座って眠くなるまで何度も星を見たことがある。

誰にも見つからずにわんわん泣きたい日は,屋根に出て体が冷えるまで泣いた。

屋根の上で深夜ラジオをイヤホンで聴きながら,過ごした夜も懐かしい。

共に手を取り合うような友だちはいなかったし,他人の家の屋根にのぼったこともないけれど,「宇宙のみなしご」は私にとってリアリティのある話だ。

 

18歳で実家を離れてから,私は屋根にのぼったことは一度もない。

私が生まれてすぐに建てられた実家は,だいぶ老朽化が進んで,とてもじゃないけれど大人がのぼって平気な状態ではないだろう。もう,私が屋根にのぼることはない。

ただ,この本を読むと,いつもあの頃の自分を思い出す。

海辺の町も,同じ中学校の同級生がいない高校も,生まれた土地とは違う街並みも,希望とは違う勤務先も,いつも,私は自分で選択しているはずなのに,ここではないどこかで毎日を過ごしている気持ちになる。

それはどこか,屋根に飛び出すことで落ち着いていたあの頃と似ていて,結局は地に足のついていない根無草の自分を映し出すかのようだ。

 

「いちばんしんどいときは,ひとりで切りぬけるしかないんだ」

「自分の力できらきら輝いてないと,宇宙の暗闇にのみこまれて消えちゃうんだよ」

 

すみれちゃんの言葉を時折噛みしめつつ,

ふらふらとした足取りのまま,今年の夏も過ぎ去っていく。