放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

どうしたら感情をコントロールできるのか?ー「自己調整能力」と言うけれど

 最近,仕事の疲労と共に,メンタルケアが難しい局面に入ってきた。毎年何度も向き合ってきていることなので,しばらくの停滞期を過ぎれば(だいたいは春を迎える頃には)鬱々した症状からは抜け出すことができる。

 症状は自己判断ではあるが,軽度なものである。なかなか眠りにつけないとか,寝ても数時間で目覚めてしまう,悪夢を見る回数が増える,日中にだるさを感じる,疲労が溜まりすぎるとちょっとしたきっかけで涙が止まらなくなるといった症状である。定期的に専門家の相談も受けるようにしている。家事ができなくなったり,食欲がなくなってくると,強制的に休むと決めて調整をするようにもしている。

 見通しを持てるようになったのは,この10年間くらいのことだと思うが,自分の体調のリズムを知るというのは,日常ではなかなか難しいことでもある。書くことで自分を客観視できるようになればいいなと思い,日記のような雑記を書くようにもしているが,正直,うまくいっているとは言えない。

 一番の問題は,職場でのコミュニケーションだ。こうして書いていることをどの程度話し,理解してもらうことが必要なのかがわからない。ある人と比べれば,私はすぐに落ち込んでしまうと言える。泣いてしまうこともあるので「弱い」の一言で片付いてしまうこともある。時には,自分中心の行動を取って,わがままだと評価している人もいるだろう。自分に与えられた仕事なのだから,責任を持ってやらなければならないこともたくさんある。私が私の仕事をできないと,周りの誰かが代わりにやることになってしまうのだから,それは迷惑をかけることになる。考えようによっては「お互い様」だから,巡り巡って,いつか自分ができるときにはできることをしたいと思っているが,やはり,周りの人が私の仕事のフォローをする機会が増えていくと,自分自身に対する評価が下がっていくのを感じる。現状は,「すいません」「すいません」と言いながら(思いながら),周りを頼ることでしか乗り越えていくことができない。

 だから,できないことをできないといい,わからないことをわからないと言えることが必要になる。期限があるものは,早めに相談してみる(と言っても,多忙で「早めに」がなかなかできないことも多い)。学校の仕事は組織で動いているのであって,自分一人でなんでもできるわけではなく,相談して決まったことを報告し,全体に漏れなく周知することが,仕事の基本と言われるのもよくわかる。

 では,相談したいときに誰かに相談できること,そういう職場の関係性づくりは,何から形成されていくのだろうか。日頃からの何気ない世間話に尽きるのだろうか。

 子どもたちには,「自分の言いたいことを言いたいように全て言葉にしてもいいものではないんだよ,もしかしたら相手にとっては不快に思う言動もあるかもしれないからね」と教えることがある。言いながら,では,自分の内面で考えることをどの程度表に出しているのだろうか,と考えてしまう。自信のない時ほど,言葉にするのが難しいことがたくさんある。これを言っては,相手が困ってしまうのではないか,この忙しい局面で聞くべきことなのだろうか,もしかしたらこれを聞くことで相手が不快に思ってしまうのではないか,そもそもこれは他人に聞くべきことなのだろうか……。

 こうしたことが私の中を駆け巡って,今日もただ立ち尽くすことしかできなかった。