放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

言われて初めて気づく。

書き出しがうまいよね

 

昨日の5限は修士論文に関する調査の報告でした。

今は学習記録のあとがきの記述分析をしています。

1年間で印象に残った授業について書いた作文から、生徒の志向や教師の授業のあり方を分析しています。

読んでいると「私は国語が嫌いです」という記述に注目してしまいます。

私としてはこの書き出しで来られると、読まずにはいられないわけです。「国語が好きになってほしいな」と思って授業しているからなんですね。全員が全員そうはならないのが当たり前だと言いながら、やはり意識ではそう思ってしまうのです。一度そうなると、なぜ嫌いなのかの分析が始まります。

 

しかし、報告を聞いていた先生が「書き出しがうまいよね」と発言しました。

私はそうか、と単純に納得します。あとがきの読者を教師と想定すれば、「私は国語が嫌いです」という書き出しは意外性を発揮し、読者の目を引くものになります。そのように分析していくと、この生徒、実は読者の興味を引く意味で、表現力が巧みと言うことができるのです。

 

「本音っぽく書けること」ってすごくないですか

 

私の授業で「今日の授業は眠かった」とか「国語は地獄だ」とかいう記述は、頻繁に書かれます(苦笑)。国語科教師のプライドとしては、生徒に苦痛な振り返りを書かせないようにちゃんと授業をしなきゃあかん、と思います。私は反省的に授業改善を考える方向の思考も持つことは大切だと思います。

一方で、この無邪気な記述は本音っぽさがあります(実際の生徒の心の中を覗くことができないので、「っぽさ」と言うしかありません)。この本音っぽさは、授業者にとって授業を振り返るための大事な記述になります。

そもそもあとがきは、授業について書くという時点で授業者と学習者の関係性に依拠する記述だという前提が生まれます。そのことを踏まえて考えてみると、ありのままを書こうとする生徒が一定数存在していた、ということができるかもしれません。それがどの位の割合なのか、他の先生の授業ではどうなのか、これ以上の分析は今のところできません。そもそも「っぽさ」指標しかないのでありのままかどうかも判定はできないのです。

 

が、とにかく、報告後に参観者に言われました。

「これ(本音っぽく書けること)ってすごくないですか。先生の授業がどんなだったのか気になります」

この発言を聞いた時に、やっぱりあとがきはその先生の授業の反映であり、その記述を読んでいくことは授業がどのようなものだったのかを生徒を巻き込んで知ることになるのだろう、と思いました。ポイントは「生徒を巻き込んで」です。

授業後の教師の振り返りの方法はさまざまにあり得ると思うのですが、学習記録は生徒の記録から授業を振り返る点で、一つのおもしろさを生み出しています。