今日は大学に行くも、軽い頭痛のために午後は引き上げて帰ってくる。やろうと思えばやれないこともないレベルだったけれど、無理はしない。
このように自分の不調をどこまで表出してよいのかは、正直よくわからない。SNSにより、近くにいない人の体調まで共有されるようになった。おそらくネット上の心配のやりとりは増えている。
考えねばならないのは他者が不調を訴える頻度が高いほど、少しの嫌悪感を生むことだ。持病を抱え苦しむ人もいれば、ストレス耐性の低さにより、常にどこか痛いと訴える人もいる。その不調の程度は人によって違うものだから、不調の訴えは受けとられ方により、その人の印象を変える。
身体は元気でも心的に厳しい場合もあるわけで、そのあたりの理解を世の中がどこまで寛容できるだろうか。