放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

「僕たちの学び方改革ってないのかな?」ー1月の振り返り

 生徒が見える授業

1月は「モアイは語る」の授業がメインでした。 

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もっとじっくり内容理解をした方がいいのかなあという葛藤もありながら,何時間もかけて本文を読み続けることで本文の面白さが半減する気もして,活動を取り入れながら全体を読み返すことを選択した。 

活動してみると読み取りの課題が見える場面もあり,そこは効果的だったと思う。

 

学年末テストも近いということで,助詞・助動詞の学習も並行して進める。土曜授業の日は生徒も朝からテンション低めなので,学習ゲーム形式にして授業をした。

今回は「ウソ日記」で何個の助動詞を使えるか競い合うゲーム。

ウソ日記は,自分のなりたいように作文できるので,

「今日学校が休みだったので…」「憧れのアイドルに会えた!」「やっとコロナが終息しました」

…と,生徒の願望が垣間見える授業になった。

 

修学旅行に向けた取り組み

国語科授業以外では,来年度の修学旅行に向けた取り組みに時間を費やした。

準備のために下見をしたり,資料を集めたりして学習計画を立てていく。

まずは,自分が学んでみて,どんなところにこの学習の面白さがあるのか体験してみる。

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今回の私が担当する学習は「縄文文化」。

故郷の縄文文化交流センターが修学旅行の行き先となり,授業づくりに対するモチベーションも高まる。

ただ,私ひとりが盛り上がらないように,生徒たちに面白さを譲り渡すにはどうしたらいいのか,

仕掛け作りを考えるのがこれからの課題だ。

 

2月,3月と,14歳の不安定な心の動きもある中で,他者との交流からどのようなことを学ぶかもポイントだ。

一人一人の良さと課題を見つけながら,一年後,二年後…と精神的にどこまで成長できるのかが楽しみである。

 

「休む」ことの価値

北海道は本州よりも冬休みが長いので,1月は半月しか登校日がない。

それにも関わらず,コロナの臨時休校の影響で,授業時数確保のための土曜授業が今月は2回も行われた。

そのうちの1回は食育弁当の日と名付けられて,弁当持参の6時間授業だった。

子どもたちだけに限らず,お弁当を作る保護者も大変だ(本当は生徒が自分で作るのが理想だがそんな余裕はない)。

合わせて,スキー学習も重なり,体力的にも厳しい2週間となった。

教師も生徒も疲弊している。

 

昨年から,自分の体調管理のために計画的に年休を取ることを心がけているが,

やはり大変な時期こそ担任不在の日は子どもたちの印象にも残るらしく,

「先生,また明日休みですか」と冗談っぽく言ってくる。

そんなこともあったので,ある日の帰りの会で「休む」ことの価値について話をする。

このご時世,体調変化が見られる時は無理せず休む選択をすることが推奨されるようになって,ガンバリズムを大きな声で唱える人はいなくなった。

それでも,簡単に休みを取ることに対して不寛容である職場も多い。

 

その上,生徒はそう簡単に欠席の決断はできない。

だって,休む=学習が遅れてしまうのだから。

私たちは自分の仕事のペースをある程度コントロールできるが,

授業は自分のペースで進むわけではない。

よく「子供の仕事は勉強」なんて言うけれど,「働く」ことと「学校で学ぶ」ことは違う。

 

ある授業の雑談で「働き方改革」の話になった時,授業が終わった後,

「僕たちにも働き方改革はないのかな」と生徒が言った。

「君たちは学校で働いてるのではなく,学んでいるからねえ」と私。

「では,僕たちの学び方改革はないのかな?」と生徒。

 

生徒自身が,今の現状の学び方に対して一番の問題意識を持っている。