放課後の渡り廊下

教育に関してあれこれ迷い悩みながら書いています。

説明的文章の内容を理解するためのちょっと変わった方法

1月の授業で,光村図書中学2年,安田喜憲著「モアイは語るー地球の未来ー」を読みました。

 

「ダウト!」

本文読解の授業の1時間目は,黙読→リレー音読をした後,2周目のリレー音読で「ダウト」をしました。

「ダウト」は,本文とは違う言葉に変えて読み,違いを見つけたら「ダウト!」と宣言して異なるところを探す,というゲーム。クラスを半分に分けて,一度目に音読した箇所を一部変えて読んでいいというルールが加えられ,もう一つのグループが教科書を見ずに一読した記憶から間違いを指摘します。よく聞いていないと間違いに気づけないので,聞き取りの授業にもなります。

中学生になるとわざわざ間違えることに抵抗のある生徒もいますが,みんなで楽しもうとする雰囲気があるクラスでは絶妙なダウトが出て,子どもたちの発想は面白いなあと思わされます。とあるクラスでは,「人口は百年ごとに二倍」という部分を,「人口は1週間ごとに二倍」というダウトがあり,みんなで想像して驚きつつ笑ってしまいました。

 

この辺りの実践の系譜は読書教育で実践し尽くされてきたものだと思います。

私自身は読書教育に関して疎いので,今後もう少し勉強したいなあと思っています。

読書へのアニマシオン―75の作戦

読書へのアニマシオン―75の作戦

 

 

モアイになってみる

次の時間は,ホットシーティングです。ある役どころを決めて,その人になったつもりで質問に答える活動です。

こちらは石川晋先生が授業提案で行っていた実践の追試です。完全な追試ではないですが,文学的文章でのホットシーティングをすることが多いのに対して,論説文でホットシーティングをするところがこの実践の面白いところです。

ただ,やってみるとわかりますが,論説文とはいえ,歴史的な経緯を説明する部分があるこの教材では,筆者による歴史というストーリーが作られているわけですから,役になってみることが方法として合うのは納得するところです。

 

今回は,グループで「モアイ」「モアイを作ったポリネシア人」「イースター島の森」「筆者」の4者になるという設定にしました。筆者に関しては,あまり有効に機能しなかったので,別な設定にした方が良かったかもしれません。

ただ,森側からしてみると,「木切りすぎなんだよー」といった恨み節が学習者の言葉として語られます。ポリネシア人はそれを受けて反省をしつつ「生きるのに必死だったんだ」と弁明します。この辺のやりとりで盛り上がります。イースター島での出来事が,少しだけリアルさを伴って言葉になっていきます。

また,やってみると,過去なのか現在なのかの時間の設定が必要だと気づきます。そもそも,本文に現在はイースター島にヤシの木の森林は消滅したとあるわけですから,今は亡きものとして語らねばならないのです。

その辺の読みの確認ができている生徒とそうではない生徒がいることがわかるのも,この活動のおもしろいところでした。

 

学習者の読みの理解がどういう状況なのか見えることが,学習活動として大切なことだと思います。そして,教師として起こっていることを見取り全体で確認する,そうすることまで含んで,楽しく理解の深まる授業になるのではないかと思います。