モアイは語る と モアイが語る ではどのような違いがあるのだろうか?
それぞれに自分の考えを書いて、立ち歩いて交流する。一番納得する解を選んで全体交流の流れだ。
しかし、最初のクラスはメモをする準備を忘れて不完全燃焼。また、誰の解答に関心が向くのか、人間関係が露呈する形になって、学習としては本来の目的も薄れる。
少し指示の改善をして、次クラスからはメモを持たせて見て歩く交流に変更。全員の解を時間をかけて黙々と読むことの価値も話をする。
こういうことをちゃんと話さないとダメなんだよな、と思う。授業の「持ち寄る」を成立させるためには、相互に責任があることと、お互いの考えに対して誠実に対峙することが必要だと思う。
単なる意見の交流にしてはいけない。
思考を伴う活動にしなくちゃいけない。